ボーディングスクール留学 - ♯2 やる気について
<今週火曜日のブログに続きます>
20世紀の半ばは、アメリカ中心の世界でした。しかし、第2次大戦の後始末が終わると共に世界経済は、モノづくり日本が急激に追い上げ、世界を驚愕させましたが、その隆盛もあっという間に崩壊しました。
その一方でアメリカボーディングスクールはアメリカ経済の下降傾向により入学生徒減に対応するために、生徒募集マーケットを自国内から世界へと目を向けていったのです。もちろん、言うまでもなく、ESL(English as a Second Language:留学生用の英語クラス)のインフラを整備したのは、ボーディングスクールよりも大学のほうが10年くらい早かったようです。
経済的な成長が20世紀最終段階から21世紀にかけてアジアの国々が成果の中での主人公を占めるなかで、アメリカの教育の中でもボーディングスクールはしっかりと生き残りました。
アジアのなかで、2次大戦後、最初に経済的発展を遂げた日本は、ボーディングスクールにESLというインフラを整備させるために大きな貢献をしたと私は思っています。そして、韓国と中国は、ESLよりもボーディングスクールの多様性に貢献しました。すなわち、この国からのボーディングスクール志願者は、同国人との間の激烈な競争にさらされたために、留学生の英語力のみならず、総合的学力というボーディングスクールの合格基準のハードルを押し上げることになったのです。
現在、ニューイングランド地方の中心州であるマサチューセッツ州、コネチカット州のボーディングスクールはそのほとんどの学校が、留学生にTOEFLスコアの提出を義務づけています。日本のバブル経済崩壊前ではなかった現象です。
さて、ボーディングスクールのやる気についてという標題にたいして、今まで述べてきたことは、ボーディングスクールの2次大戦後の留学生受け入れの歴史ですが、ボーディングスクールのランキングに関係なく、彼らは一様にそこで学ぶ生徒のやる気をとても大切にしています。
そして、ランク3のESLのあるボーディングスクールにおいては、留学生の受け入れに対して、彼ら独自の教育観を進展させた学校が21世紀のグローバル社会のなかで、これからユニークな進展を遂げるのではないかと私は思っています。
つづく