日曜コラム 飛行機という空間
機内は不思議な空間です。
それが好きな人、嫌いな人、耐えられない人もいるようです。
私にとって、機内は日常とは違うという意味で好きな場所です。
北米に行くのに、シカゴ経由が多いのですが、その飛行時間は12時間ほど。
おおよその人にはそれがとても長く感じられると思いますが、
私にとっては、あっという間です。
飛行機に乗っている間、まとまった時間で本が読める、
新着、クラシックなどの映画を見ることができる、
時差ボケ対策として、北米の場合は到着したら夕方なので、
機内ではあまり寝る必要はありません。
うとうととはしますが、長時間にわたって、読める、見れるのが、嬉しいのです。
機内でいろいろなアイディアが浮かんできます。
不思議なほど、次から次へのブログのトピックとその内容が浮かんでくるのです。
音速に近い速さで高度一万メートルくらいを移動すると、
脳に変化がおこるのではないかと思ってしまいます。
運動をせず、自分の好きな文化的嗜好を満足できる飛行機ですが、
出張明けは、精神的、肉体的に元気なのですが疲れが溜まっているようで、
時差ボケの影響か、午後の時間になると、突然の睡魔に4-5日襲われます。
南半球に行ったときはその症状が軽いので、
自律神経が元のパターンに戻るのに、一定の時間がかかるのは仕方ないようです。
行きと帰りでどちらがリラックスできるかというと、
あまりその差がありません。
もちろん、行きの緊張のほうが高いと思いますが、
私にとって、飛行機は乗ってしまえばみな同じなのかも知れません。
つい最近まで、日系の飛行機のサービス、対応の良さと比べて、
外資系の飛行機のホスピタリティーの雑然さに辟易していました。
ところが、それが気にならなくなってきました。
おそらく、地上の日常で、欧米の学校のいい加減さにいつも言及するため、
それを受け入れることができるようになったのではないかと思うのです。
「いい加減」と評論しても何も変わりません。
自分がそれを受け入れて、いい加減でないように対応していけば、
相手も答えてくれると思えるようになりました。
自己の強い欧米では、機内のCAたちも日本的にいえば、
気配りがなく、奉仕の精神が曖昧で、依頼ごとをすぐ忘れるなど、
プロ意識に欠けるといえましょう。しかし、彼らのスタンダードに
意識のスイッチを切り替えれば、サービスの内容は致命的ではありません。
さて、今週からカナダ経由、アメリカ東海岸への学校訪問の開始です。