日曜コラム 剣道と日本文化
剣道を息子たちと始めてから20年になりました。
以前の日曜コラムで何度か述べましたが、
子どもたちはすでに社会人となり、剣道を継続してはいません。
そもそもは、家内の発案で、小学生になった長男と幼稚園、
年中の二男の精神と肉体の健康のために3人で街の剣友会に入会して
始めたのですが、彼らは中学校、高校でそのキャリアを終えました。
父親のみが剣道に取りつかれたのには、それなりのわけがあります。
運動量が健康維持にためにちょうどいい、
単純な運動、あるいは力の勝負ではなく奥が深い
精神を鍛錬するのに適している、
古い時代にあった日本の文化を知ることができる、
剣友との語らいが楽しいなど、
私の場合、ゴルフよりも剣道の方が魅力のスポーツです。
剣道には、段位があります。
初段から八段までのランクがあるのですが、
それぞれの段位を取るために、日本剣道連盟はそれぞれの段位ごとの技術を
丁寧に説明していますが、一言で言えば段位が上がるほど、
「恰好いい」剣道が望まれます。恰好のよさとは、立会いの所作すべてです。
まず、その基本としての着装です。すなわち、きちんと胴着と袴が
バランスよく着られているか、そして面、胴、垂の防具が、装備されているか。
次に、立会いの刀を抜くという動作である、蹲踞(そんきょ)から、
相手と相対したときの構え、そこから、気(意識)、剣(竹刀)、
体(姿勢)の一致による打突、そして打ち終わった後の残心、
試合終了時の収めまでの所作を、段位取得の場合、
1分程度の試技2回で判定されます。
勝ち負けは関係ありません。
そこに、形を重んじ、空気を読むという配慮が重要な日本古来の文化が
剣道というスポーツ化された武道に色濃く残っているように思います。
審査するのは、主に七段以上の高段位を取得した剣道経験者の人たちですが、
複数の審査員(7人~15人くらい)のうち、半数以上が○をつければ、
段位取得となります。
試合では、どうにかして相手から一本を取ろうと躍起になり、
打ちまくることが中心になりがちですが、
段取りの立会いでは、四段以上となると、1分間で3回も打てば十分、
それ以上は打ち過ぎとも言われています。
かくして、相手のふところに入るぎりぎりの間合い(距離)まで、
動作を起こさず、相手がこらえきれずに動いた瞬間、
機先を制して打つ、あるいは受けて打ち返すと言われていますが、
実際は、相当に練習を続けて、精神を鍛錬しないと、
先に先にと打ちにいってしまい、「格好よさ」は生まれず、段位取得はなりません。
欧米の剣のスポーツ、フェンシングはおそらく、剣道のような、
開始、終了時の作法もなく、先に相手を突くという勝負を機械が判定するなど、
とても合理的にできています。
今の時代でも、すべて人間が判定し、ビデオによる再審査やカメラ分析など
一切行わない剣道は、やはり日本の文化を色濃く残す
スポーツであると思います。