#5 ボーディングスクール-コミュニティーという考え方
<昨日のブログに続きます>
ボーディングスクールと日本の学校の学習習慣の違をひとことでいえば進学のための試験制度ではないかと思います。中学ならば高校進学、高校ならば大学への進学ということが当然、そこで学ぶ生徒や家族にとって大きな関心事になりますが、日本の場合、小学校から高校まで何をどのように教えるかということは、教科書検定という制度みればわかるように、大元に文科省があります。
ところが、アメリカには教科書検定はありませんし、教育に関する中央政府の機関も日本とは違って、州の独自性を重んじるために各州に学習指導をするというその発想そのものがないと思います。
教育に国が、かかわればかかわるほど公平性、平等性が意識されると思います。なぜならば、国の方針を決める人たちは国民によって選ばれるからです。かくして、公平で平等な教育システムが考案されていく過程で、個性の尊重という課題は有名無実になっていくのではないかと思います。
ボーディングスクールにかかわる人たちが自分の学校をコミュニティー(社会)と呼ぶのは、そこが独自の規則と方針に基づいて運営されているからにほかなりませんが、その目標とするところは、責任感、誠実さ、思いやり、努力、克己心などで、日本の学校と理念という点ではまったく同じと言えます。しかし、日本の場合、進学実績が理念に優先されることは、暗黙の了解となっているのではないでしょうか。
一方でボーディングスクールの場合、進学するための考査方法で「試験」のみでは到底合否が決まらないので、学校、すなわちコミュニティーでの生活状況が進学に重要な役割を果たすことになります。
学校の特徴という点でボーディングスクールが一番強調するのは、授業の進め方です。テンスクールズやランク4のボーディングスクールを訪問すれば明確ですが、一クラスの人数は15名以下に制限され、どのクラスでも先生と生徒、あるいは生徒間の意見が縦横無尽にやり取りされます。
この少人数クラスを基本として学校というコミュニティーが運営されています。そこでは、「試験に出るから学ぶ」という発想も目標もありません。先生はディスカッションや生徒の発表などを通じて、彼らを評価し、良い点を探し出し、修正すべき点はそれほど強調せずに、ひたすら生徒たちに自信を持たせ、やる気を起こさせようとします。
つづく