英語を使うということ
英語を学ぶということと英語を使うということは根本的に異なります。どれだけ英語を「学んだ」としてもそれを「使う」機会がなければ、またたく間にその知識は消えていってしまいます。反対に学ぶ意思がないとしても、英語を使わなければいけない状態にあれば、それは自然に習得されていきます。
中学、高校の留学生の場合、習得はほぼ無意識に行われると思います。生活のなかで同じ言葉を繰り返し使うことによって、その用法を学びます。言葉は留学生にとって生活の必然ですから、誰でも等しく英語が話せるようになります。
自分自身の体験で恐縮なのですが、私にとって英語をマスターする過程をコンサルタントして振り返ってみると、2年間の留学直後の英語力と現在のそれでは、かなり大きな差があります。
留学した時期も中学生ではなく、24歳でしたから、ボーディングスクールライフのような体験はありません。その代り、10代の若い留学生とは違って、「もう後はない」という意識レベルでの必死さや、英語習得へのプレッシャーは相当なものだったと思います。
留学を終えて、すぐに留学のコンサルタントになりましたが、その当時は自身の英語力の不十分さを補うために、国際電話は録音して、相手の言っていることを再確認したり、その受け答えに大きな間違えがないかを確認したりしていました。また、学校訪問や学校関係者との話し合いで、「ああ言えばよかった」、「なぜ、あそこで突っ込んだ質問をしなかったのか」、「自己主張がたりない」などと英会話の場面を思い浮かべては、反省するこが日常だったと記憶しています。
おそらく、中学校から留学した生徒は、私のような英語体験は持たないと思います。しかし、大学生くらいから留学した学生や社会人になってから語学研修機関に留学した人たちは私と同じような経験があるかもしれません。
国際電話を録音しなくなったのは、コンサルタントになってから4、5年を経過したときからだったと思います。仕事で英語を使うことに慣れてきたので、おそらく幾通りもの対話のパターンを記憶できて、必要に応じてそれらを引き出すことができるようになったので、あえて外部記憶装置に頼る必要がなくなったのではないかと思います。
つづく