#2 - 学ぶことの面白さ
以前にもご紹介しましたが、英語圏の高校を卒業したある生徒が、都内の大学に入学しましたが、大学でのあらたな学習に満足できないと言います。
一般教養のクラスにおいて、良く勉強した学生が評価されるのではなく、試験の内容を先輩やその他のネットワークから入手した学生が結局、テストで高得点を取ってA評価を受けるということが気に入らないと言っていました。
英語圏で中等教育を経験した生徒は多かれ少なかれ日本での学習方法の違いに戸惑います。それに上手に逆適応をしていく学生も多いと思いますが、自分の意見表明が英語圏に比べると大きく制限されて、講義形式の授業が多い日本の学校で「学ぶことの楽しさ、面白さ」について、真正面から議論をするような大学生はすでに稀なのかもしれません。
そもそも、勉強とは一体何を目標にしてするものでしょうか。
もしそれが、学歴であり、それに基づいて就職が決まるとすれば、そのラインに乗り損ねた学生なり生徒なりは、どうなってしまうのでしょう。学習が何かの目標に対して有効であるのは、その目標が具体的でそれを追求する本人にとって魅力がある場合に限られていると思います。
たとえば、資格試験、国家試験などですが、大学という高等教育機関は、必ずしも資格を取る機能としてだけあるものではありません。
おそらく留学生が日本の大学で感じるのは、そこで学ぶ学生たちの勉強に対する姿勢と、教える側の姿勢ではないかと思います。
日本から留学した生徒が10代初めの頃から体験した異文化は、彼らに多くのことを教えます。英語だけでなく、現地の生徒、そして世界のいろいろな国から集まった生徒たちのものの見方や考え方が自分のものとは全く違うということ、それを自分がどのように理解し、対応していくか、その答えは自分で出さなければいけないこと、さらには、不明な点を自分で解決、解消できなければ、人に助けを求めるということなど、好むと好まざるとにかかわらず、留学生たちは、精神的に成長せざるを得ない状況に追い込まれます。
つづく