人格と学習について
受験で勉強したことが、どれだけ社会に出た時に役に立つかということに多くの人が疑問を持っています。ある人は、「それは仕方のないことだ」と言い、ある人は「もう子どもをその世界に置きたくはない」と言います。いずれにしても、学生時代というかけがえのない人間の成長期が、その後の人生の基礎を築くということは間違えありません。
この期間に達成されるべきことで最も重要なものは、自分を知るということではないかと思います。そのためには、自分を写してみる鏡が多ければ多いほど良いと思います。自分を客観的に見るということはとても難しいことです。
良い時は、そのままの姿を認められるのですが、悪い時の自分の姿は見たくもないというのが現実と思います。
そして、学生時代から転じて、社会、組織という鏡に映っている自分を見てみると、多くがネガティブであることでしょう。
そこで、「今まで何のために勉強してきた。いったい学生時代の勉強は世の中にでてどれだけ役に立っているのだろうか」とみな思うわけです。
最近は学生さんたちも社会に出る準備を大学で周到に行うため、必ずしも社会においては即効性のない勉強に集中するよりも、アルバイトで実益を得て仕事の人間関係を学び、同好会等で仲間を増やしているようです。
さて、英語圏の高校を卒業し日本の大学に入学した生徒が、半年間の就学期間の後、その大学の留学制度を利用して、英語圏に再度旅立ちました。彼にとっては、日本の大学生の社会に出る準備のための学校外での活動や、本来の勉強に対する姿勢は、疑問だらけだったようです。
おそらく、疑問を持つに至った経緯として、高校時代の留学先での苦労があると思います。3年半の留学生活を見ていて、私は彼に留学半ばで英語を教え、日本の大学受験の時は、わが子のためにその準備を整えるお父さんに協力しました。
中学時代から日本の勉強に疑問を感じていた彼は、英語圏に活路を見出したいと留学に踏み切ったわけですが、卒業までの道のりは決して平坦ではありませんでした。英語のハンディの克服、ホームステイでの人間関係、日本とやり方の違う学習への適応、そして自分の将来への展望、自分を写しだす鏡を彼は留学によってたくさん持ったと思います。
その多くの鏡をすなおに直視して、避けずに自分を理解して高めた彼を私は頼もしく思いますし、これからも応援したいと思います。
「自分の納得できる勉強がしたい」と彼は再度留学をする目的を言いました。彼は学ぶことで自分をより成長させられると私は確信します。