自己表現について
<前日のブログに続きます>
先日は自己主張について述べましたが、その続きとして自己表現について考えてみたいと思います。
日本では、自分が属する集団での共感、協調は幼少時から自然と学習させられますが、自己表現はその陰にかくれて、訓練の機会はすくないように思います。表現というアウトプットよりも内容理解、把握といったインプットのほうが教育の世界においてもはるかに重視されていて、その量も多いと思います。
留学するとその環境が一変します。今までは、しっかり覚えていれば良かったわけですが、いちいち自分の意見を問われるわけです。今までは、先生や教科書が重要点を教えてくれていました。「試験に出る」ところがいつも網羅されていて、それさえ外さなければ、学校生活はおおよそうまく行っていました。
ところが、留学先での勉強方法は、重要なところは、インターネットなどを使って「リサーチしなさい、自分で調べてみなさい」ということになります。また、テーマを決めて、それをグループで研究、発表しろという社会的な作業も授業の主流を占めるようになります。
決められたことを、決められた順番どおりにこなして、定期的にそれをどのくらい覚えているかチェックされるという今までの教育プロセスは消ほぼえてしまうといえると思います。
では、留学したら消えたプロセスは結局必要ではないということでしょうか。いいえ、それは大切なことで、学習のなかでは欠くべからざることの一つです。では、暗記作業はどこでどのようにして留学中にはおこなわれるのでしょうか。
「これを覚えなさい」という先生からの指示は、日本よりもボーディングスクールのほうがはるかに少ないようです。そして、毎日の覚える学習とは違う、リサーチ、研究による読書と文書作成のなかから、重要な情報を頭に刻み込んでいくのだと思います。
そのようにして蓄積した知識を確認するのがSATという英語力、数学力、文章力を問われるアメリカのセンター試験です。日本と根本的に違うのは、アメリカの場合、各ボーディングスクールが独自で試験を実施しないということです。その意味は、知識と同様に自己表現がきわめて重要でるということです。
あらたな学習スタイルに向けて、新学期がスタートしました。多くの日本からの新入生が自己表現の道を模索し始めています。