外からみる日本3 続 驚異の学習姿勢
<昨日のブログに続きます>
日本で教育を受けた生徒は自己主張ということをほとんど学習しません。その代りに協調性や一致団結の精神は学習しなくても、日々の学校生活のなかで体験する重要な倫理項目ではないかと思います。
昨日のブログのテーマ、与えられたコースメニューを淡々とこなしていくという日本人の学習姿勢ですが、その延長線上に大学入試があることは間違えありません。そのゴールは留学によって一度白紙に戻ります。日本であれば東大、英語圏であればアイビーリーグというパターンは親であれば誰でもが簡単に想像できることですが、日本のテスト対策中心の勉強とことなり、英語圏ではSAT、TOEFLなどの学力試験のための対策は私立、公立ともに熱心ではありません。また、英語力のハンディや生活適応にまずは追われるので、中学留学生が英語圏の特定の大学に入学するというゴールを留学当初から持つことは、極めて困難なことです。
リセットされた学習ゴールですが、それこそが新たなスタートにふさわしいと言えるのではないかと思います。なぜならば、10代なかばで与えられた目標でなく、自らを省みることができるのですから。
日本人特有の受け身的ではありますが、小学校時代から2-3時間の学校外での集中学習訓練を経ている生徒は、実はジュニアボーディングスクールへの入学に際してはとても入試プロセスを有利に展開できます。中学時代の留学においては、英語力が確立していなくても、「伸びる」という要素を受け入れ側の学校が十分に考慮する傾向があるからです。すなわち、受け入れ側の学校職員は、留学生たちの英語力の獲得プロセスを日々現場で見ているわけですから、留学生に必要なのは、英語力よりもむしろ日々の生活習慣、学習習慣であることを熟知しているのです。
日本では、あまり褒められもせず、学習においては、良い結果が出て当たり前で、悪い結果がでれば、徹底して補強させられるという作業を繰り返しやって来た生徒にしてみれば、英語圏ボーディングスクールの生徒指導のコンセプトは今まで経験しなかったポジティブな斬新性に満ちていることでしょう。
それにすぐに乗り換えられることも日本人の小学、中学、高校留学生の若さゆえの特権かも知れません。今、アメリカ、スイスのボーディングスクールを席巻している中国、ロシアあるいはロシア語圏からの留学生たちは、粘り強さ、継続性、適応力においてそのクオリティーが同等ではないようです。
もったいないと思うのは、学習姿勢においては、優れた素養があるにもかかわらず、優秀な中等教育機関の生徒はほぼ国内の頂点を目指して、日々切磋琢磨しているという点です。
つづく