アメリカへの中学高校留学生 その1 生徒数の推移
アメリカの中等教育機関留学のNPO法人、CSIET(国際教育旅行基準協会:The Council on Standards for International Educational Travel)によると、アメリカへの日本人の中等教育機関への留学生数は下記のように変化しています。
2008~09年 615名
2009~10年 895名
2010~11年 1280名
2011~12年 1577名
2012~13年 1777名
この数字はF-1ビザ、すなわち学生ビザです。これに対して高校時代の1年間だけの交換留学に参加する日本人留学生数は下記のとおりです。
2008~09年 883名
2009~10年 791名
2010~11年 755名
2011~12年 791名
2012~13年 803名
1年間の交換留学生数が減少しているのに比べて、主に卒業を目的とする留学のためのF-1ビザで渡米する生徒数は同年で比較すると約3倍に増えています。
交換留学生は2003年~04年の統計では1698名いました。日本経済がバブル期には2000人を超える生徒が交換留学生としてアメリカに渡航しました。
アメリカ方面の1年間交換留学が2003~04年の統計と比較して半減している理由は2つ挙げられると思います。一つは留学のバリエーションが増えたことです。もう一つはバリエーションが増えたことにも起因していると思いますが、同時多発テロや治安面での不人気です。
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドは2000年くらいから国をあげて中等教育機関への留学生受入れを積極的に始めました。
この時期、アメリカの政府や交換留学生受け入れ機関は日本の高校生マーケットに対して何もしなかったのに対して、他の国は大使館も含めて活発な営業活動をするとともに、ホームステイや受け入れ校の留学生サポートの質にも配慮しました。結果的に、それまでの1年間留学の主流を占めていたアメリカの質が問われて、他の国へと1年間留学生は流れていったのです。
ニュージーランドやオーストラリアは中学、高校への留学生受け入れは後発ですが、校長自らが日本に営業に来るなど、留学生の受け入れに対して、アメリカが今まで考えもしなかったような努力をしました。結果的にそれが実り、多くの日本の高校が国際科などのクラスを作り、そのクラス全員を1年間留学させるというシステムを作りあげています。
アメリカの場合、校長が自ら営業活動をするのは、ボーディングスクールに限られるといっても過言ではないでしょう。少なくとも、戦後「(留学生を)受け入れてやる」という姿勢で交換留学を行ってきたアメリカは、現代になって後発英語圏に完全にとって代わられました。
このような状況のなかで、なぜ卒業を目的とする留学生はアメリカ方面で2008年から13年まででその数を3倍に増やすことになったのでしょうか。
つづく