1 生徒の人格 - 小学中学高校留学
コンサルティングであるお母さんが私に言いました。
「『お子さんが留学をしたくないと言っている以上、留学はさせられません』と留学相談を受けつけてもらえませんでした。」
子どもが留学に行きたくない、でも親は行かせたいというケースに遭遇すると、私は自分自身がふと、こころの旅に出かける準備をするのがわかります。
その子はどんな子なのだろうか。なぜ、そんな発言を親に向かってするのだろうか。何が楽しいのだろうか。ほめられたことはあるのだろうか。どのような育ち方をしてきたのだろうか。何をどうしたいのだろうか。将来を考えているのだろうか。
とにかく、長い旅になることは間違えないのです。そのような子こそ救われなくてはならない。救われるというのが、偉そうな言い方であるならば、誰か大人が手を貸してあげなければならないと思うのです。
おそらく、ボーディングスクールの先生も同じように思っていると私は確信します。
なぜそう断言できるかというと、彼らはすべての子どもにはかならず何か良いところ、誉めるべきところがあり、それをうまく育てるのが彼らの仕事だと思っているからです。すなわち、生徒を愛することができるからだと思います。
彼らにとって愛とは決して難しいことではありません。彼らの言葉に耳を傾け、熱心に聞いてあげる。それを100パーセント拒否する子どもはいないという前提から彼らは教育を始めるからです。もちろん、日本人留学生の場合は、言葉の問題があるので、先生のそのようなこころの姿勢を感じ取ることから始まります。
悩めるお母さんの相談には明らかな共通点があります。
子どもたちがみな、you’ve made me what I amとお母さんに向かって言うということです。お母さんは、Noと即座に答えるわけですが、それをYesに変えることができれば、私は問題解決の可能性が見えると考えています。
子どもたちの人格を尊重すれば、彼らは自分の存在意義を少しずつ回復できるのではないでしょうか。
「現実はそんな甘くない」、「それは理想論」と言われても、私はゆるぎません。とにかく、私は、成績やその他の学校内外での実績、成果とは関係なく生徒そのものに関心と興味があります。彼らは「生徒」である前に、まず人ですから。
人が社会で生活する以上、客観的に自分を表現するという意味では、学歴は必要です。しかし、中等教育の留学に関しては、彼らの日本での経歴にかかわらず、異文化の洗礼が待っています。それを乗り越えるのは、彼らの人格と言えると私は確信します。
つづく