英語力と生きる力 5 日本の教育システムの特徴
<前日のブログに続きます>
「小学校から英語を学ぶ」という現代のニーズに答えるために、日本の場合はまず国が動きます。教育を統括している文科省がそのプランを作り、それを基にして日本の小学校が英語学習を実践していくわけですが、今までやっていなかったことをゼロから作るとなると、とても時間がかかります。
待っていられない人々は、学校という公の教育機関以外でそれを進めていきます。かくして、近年、キッズ英会話、ジュニア英会話など、小学校に上がる前に英語に親しむ塾が盛んになってきています。それがどれだけの効果をあげるかは、おそらく学ぶ本人の達成目標をどこに置くかで決まると思います。
たとえば、小さいうちから英語に慣れておく程度の目標であるならば、「使える英語」のレベルまでに達するのは難しいと思います。その理由は、学んだことを実践する場が極端に欠けるからです。
幼児教育全般に言えることかもしれませんが、幼少時に獲得した知識や学習技術は、継続して維持されないかぎり消えてしまうのではないかと思います。
日本では、継続性のある学習は大学受験をゴールとする受験勉強です。したがって、小学校の低学年までは話せる英語、使える英語という視点から学んでも、小学校の高学年になると、受験用の英語に転換せざるを得ないのが現実です。
学ぶ本人が、受験用の英語に興味を持てればいいのですが、ひたすら読み解くこと、そのための方法、技術を学ぶという純然たる受け身の教育に子どもたちがみずからの興味や好奇心をもって、取り組むというのは難しいと言わざるをえないでしょう。
受験のための勉強というのは、その量、質ともに明確なガイドラインがありますから、繰り返して取り組むことで、誰でも一定の成果をあげることができると思います。それをやり抜く忍耐力、精神力、集中力さえあればいい。独創性、創造性、個性、特性などは二の次です。
コンスタントに知識の質と量を増すためには、それを実行するための時間が必要です。ひらめきや勘を大切にするなどと悠長なことは言っていられません。週間、月間、年間の達成目標が決められれば、日々の学校生活と放課後に何をするかが決められて、あとはそれをどれだけの期間で達成するかによって、知識の質と量を前倒しにしていけば、頂点への道が早期に見えてくるというのが、日本の教育のメカニズムではないでしょうか。
つづく