英語力と生きる力 1
初等、中等教育の段階で留学を考える時、最初に思い浮かぶことは英語力ではないかと思います。これをどのようにして獲得するかが10代前半の留学の重要なテーマになることは間違えありません。
高校生の留学においても、英語をいかにしてマスターするかというのは、留学する本人の最大のテーマとなります。
ところが、留学して半年もすると英語力の獲得ということが、当初予想したよりも容易に手に入れることができると留学した本人は気づくことになります。留学する年齢が若ければ、若いほど、生活のための英語力の獲得は容易です。
それは、留学した本人の絶え間ない学習努力ではなく、全く新しい環境に適応していこうという本人の生きる力の発動に他なりません。勉強が好きであってもなくても、友だちがいてもいなくても、スポーツができてもできなくても、芸術、音楽に興味があってもなくても、新たな環境に適応すべく、自然と留学生たちは英語を生活の場で使えるようになります。
ある留学生は、英語が念仏にように聞こえたが、1か月もしたら徐々に言葉が判別できるようになったと言います。
英語力ゼロで渡航した中学校1年生たちが、半年ほどたってかれらの留学先校を訪問すると、生活英語には困らない程度までになっていることを、私は今まで何度となく見てきました。
日本で初等、中等教育を受ける場合、生きる力という意識の出番はほぼありません。生活のなかで不満や不便さは多少あっても、自らの生活を維持することが困難である状況、すなわち留学先での生活環境は日本では生まれようがありません。そのような環境のなかで、コンスタントに良い学習結果を残すためには、幼少のころから徹底した反復練習をして、勉強を日常のなかで習慣化していくことが最も合理的な方法として求められるでしょう。
しかし、この勉強の習慣化というのは、本人のやりたいこと、興味、特性などとは無縁に進んでいきますから、それを行う主体である本人の意思や希望とは無関係に単調な毎日を過ごすことになりかねません
留学という新たな世界がどのようなものであるか、留学する本人には想像がつきません。ただ、漠然とした未知の世界があるだけです。それではいかにも心もとないから、サマースクールを体験させよう、学校を訪問して現場を確認しようということになるわけですが、それでも長期留学を包括的に把握するまでには至りません。
結局、本人および家族の決断によって、長期留学が始まることになります。
つづく