教育のパラダイムシフト 14
<前日のブログに続きます>
「日本の受験に比べて、アメリカの受験はなんて難しいのでしょう」、これはあるお母さんが私に語ったわが子をボーディングスクールに留学させて9か月余りたった後の感想です。お母さんは続けます。
「日本の場合、入試がすべてですから、高校での成績がどうであれ、2年間ほど我慢して、徹底して受験勉強に取り組めば、誰でも合格できます。でも、アメリカの場合、高校の成績、TOEFLとSAT、学習外の実績、さらにはエッセイまでが評価対象になります。これでは、短期決戦は到底無理です。でも留学させて良かったと思います。自分の子どものことをより良く知ることができました」
私のオフィスを訪れるお父さん、お母さんの意見で共通しているのは、大学受験というシステムに対する疑問です。
お父さんやお母さんがどのような職業であっても、自らが受験という関門を通り抜けてきたにもかかわらず、心底からは納得できていないのではないかと思います。
「学力だけが評価の対象でいいのだろうか」
「個性を発揮するにはどうしたらいいのだろうか」
「社会に出て通用するような『学び』はないのだろうか」
「どこの大学を出たということだけでは、これからは通用しない」
「世界に自分の視野を拡げてほしい」
などなど、コンサルティングでの私たちの対話は半分以上が、初等、中等ボーディングスクールの具体的な情報提供というよりも、日本の教育の現実やボーディングスクールの教育方針などといういわば考え方の話しです。
私は子どもが育つ過程で、彼らの小学校時代は、小学生らしくあってほしいと思います。また、中学生は中学生らしく、高校生は高校生らしく、そして大学生は大学生らしくあってほしい。では、「らしく」の本質は何でしょうか。それは、どの段階にあっても自分に与えられた課題に明るく、元気で取り組むという態度なのではないでしょうか。
それが、ボーディングスクールでは「与えられる」という考え方から、「探す」という能動に切り替えるための努力がなされています。このプロセスには時間がかかります。もしかすると、受験には間に合わないかもしれません。でも、子どもたちの長い人生を考えると、彼らの人生は、受験では終わりません。大学を終えてからが本番とも言えません。なぜならば、それから彼らは家庭を持ち、自分たちが親になり、次世代の教育に携わり、自らの納得の人生を全うしなくてはいけないからです。
つづく