小学校からの留学 3
<前日のブログに続きます>
私個人の留学体験を基にして、息子の留学に発展させたことを私は昨日のブログで述べました。息子が留学した時の年齢は14歳でしたから、標題の小学校からの留学には該当しませんが、中学生時の留学では、親の意思で留学が進められていくという点が小学生生時の留学と共通しています。
親の意思は、父と母が均等ということもありません。卑近な例で恐縮ですが、わが家の場合は私の意思であり、家内は留学には反対はしなかったものの積極的に賛成ではありませんでした。私の父、母は絶対反対というわけではありませんでしたが、すでに私が留学をしていたのと、息子に留学をさせることは、かなり前から折に触れて言っていたので、初孫の中学校進学先が海外ということについては容認済みでした。
留学年齢が下がることは、教育の選択肢が拡大することを意味すると思います。今までの単一の東大を頂点とする難関大学を目指すために幼少のころから最短距離で教育をつけるという価値観から、海外で中等教育を終了するという大胆な試みは、グローバルスタンダードでみると決して無謀なことではなく、むしろ世界的に著名な大学を目標にできることが、大きなアドバンテージになると言えます。
世の中は絶えず変化しています。しかし、「世の中」という定義のなかに、初等、中等教育時代が隔絶されているかのような様相があり、子どもたちは多様な世の中の変化に参加することなく、日々学習トレーニングを学校が終わってからもやらされているとすれば、グローバルな意識に逆行しているとは思えないでしょうか。
私が留学を敢えて初等教育時代からでも考えられるようになったのは、留学の本質がその年齢にかかわらず、苦労することにあり、自ら問題を解決する自主性を生み出さざるを得ない環境が留学によって生まれることにあります。
逆にいうと、いくら知識があってもそれを習得する過程で自らが乗り越えなければならないような苦労が伴わなければ、世の中に彼らが出た時に、人の苦しみや悲しみなどを共有できないのではないかと思うのです。
もし、人の苦しみや悲しみに共感できずに、ものごとが単に合理的に進められていくのであれば、果たしてどのような世の中が生まれるのでしょうか。
教育が多様化し、選択肢が増えることはいいことです。小学校での留学に対して、より確かな情報とサポートができるように、2015年、私は積極的に活動をしていきたいと思います。