教育と人格形成
教育と人格の形成は並行して行われるべきではないかと思います。特にこれからの時代においては、人格の確立はなるべく早期に行われることが望ましいと思います。なぜならば、「あなたはどう思いますか」あるいは、「あなたの考えを述べなさい」という命題が社会に出てすぐに必要になるからです。
日本では、意外なほどに多くの生徒たちがこの問いに対して明確な答えが出てきません。「なぜ留学したいのですか」という質問に対して、ほとんどの生徒が数秒間沈黙し、その後に言葉が続かないのです。
彼らが今まで受けてきた教育のなかで、「なぜ」という発想が欠けているのだと思います。たとえば、歴史の授業などでもなぜXX事件が起こったのかということを考えるよりも、事件の前後背景を説明して、結局その事件が起こった年と中心人物などを覚えることに終始しているように思います。もし、日本史や世界史の授業がそのような形で進んでいくのならば、それは教科書の太字で書かれた部分を暗記すればこと足ります。では、それだけのために、授業はなぜ行われるのかということになってしまいます。
留学希望の生徒に好きな科目、嫌いな科目を尋ねると理科と社会が好きでない生徒が多いことに気付きます。その理由は、「暗記することが多くて厭だ」ということなのです。確かに、暗記が授業の中心になっていれば、それは退屈であるばかりでなく、苦痛でもあることでしょう。
ボーディングスクールでの教育はどうかというと、基本的にはディスカッションが中心と考えていいと思います。先生と生徒が常に対話していると言えます。日本の授業とは違って、一クラス15名くらいの小さなクラスが故に可能なことではないかと思います。もちろん、先生が話し続けるわけではありません。生徒はいつどのようなタイミングでも質問をしますし、先生もそれに答えます。もし、先生が生徒の質問よりも自分の言いたいことを完結したい場合は、「質問は話の後で」というように先生が述べます。また、少人数のクラスでは、生徒同士がお互いの意見を交換することも重要ですから、授業がより生徒主体に進んでいきます。
ボーディングスクール式の授業内容と人格の形成との関連ですが、次回のブログでその要素を検討したいと思います。