#3 教育の基礎とは―ボーディングスクール留学
<月曜日のブログに続きます>
ボーディングスクールの教育は授業そのものを最も大切にすることを基本としています。人文系のクラスにおいては、先生が教壇に立つことはありません。クラス人数は多くても15名ほどで先生と生徒がお互いの顔を見ることができるように円形に机を配置するか、あるいは大きな楕円形のテーブルを使って授業をします。
歴史(社会)、文学(国語)のクラスなどは、試験にでる項目を解説し、要点を網羅し、暗記するべきところをマークするなどということは、ボーディングスクールにおいては全くありません。先生が授業で追求するのは、「なぜ」ということに尽きると思います。
例えば、なぜアメリカと日本は戦ったのか。それは回避できなかったのか。その理由はなにか。あなたが総理大臣であれば、その時どうしたか、その対処と根拠をまとめよ、などと先生が生徒に発信し、お互いに顔を見合わせながら、授業が進んで行くのです。
小説や随筆の鑑賞と理解においても、日本の国語の教科書のように作品の数ページを読んで、そこに盛られていることの言外の意味を理解したり、作者の心境を考えたりするのではなく、小説をすべて生徒に読ませて、そのテーマや作者の主張について授業で議論したり、主人公を自分に置き換えて、ストーリーを作ったりします。
理科系のクラスにおいては、実験や実習が授業に多く用いられ、物理、生物、化学などのクラスは、講義と実験、実習が併せてできるように教室が配置され、あるいは屋外での実習の場が作られます。
すべては、生徒が自らが学んでいることに興味を持つことができるように工夫されているのです。そのようにしなければ、教える側も教えられる側も学校が面白いとは思わないことでしょう。ですから、学業評価においてもテストの結果だけで成績が決まるわけではありません。どれだけ授業に参加したか、宿題の出来栄えはどうかということもボーディングスクールの成績評価においては、試験の結果と同じように大切なことなのです。
試験の結果によって合否が決まるのではないアメリカの教育制度のもとで発展してきたボーディングスクールは、中等教育最後の段階で、生徒のあるべき姿を追求しています。彼らが目指したのは、社会に貢献できる知識と教養、そして行動力のある成熟した人間です。