2013年 最終コラム 英語学習―読解力
英語に関する日本の大学受験問題はとてもよく考えられていると思います。センター試験、国公立、私立などの問題から、難易度が高いと思われる問題を読んでみると、自然科学、社会、倫理、心理などの分野から、現代社会が持たざるを得ないテーマが取り上げられています。
設問の仕方も全体把握、要点の理解、具体例の引用、段落の要約などで、内容をしっかり理解できていないと正解が導けないように作られています。読み書きの「読む」という分野においては、充実した問題と言えると思います。しかし、なぜ日本で教育を受けた学生たちが、英語で社会人となってから苦労し、ほとんどが受験時代に培った英語力とは別な形でTOEICや英検に再挑戦をして、会社の英語学習プログラムとして海外学習を命じられなくてはいけないのでしょうか。あるいは、自分の英語力のなさに危機感を感じ、社会人となってから、英語学習のために、会社を辞めてまで、英語圏に語学のために留学をするのでしょうか。
結局、受験勉強というものが、面白くないために、必然的に導きだされる結果ではないかと思います。
それでは、面白い受験勉強というのがあるのでしょうか。私はあると思います。そうでなければ、10代の人生で一番多情多感な時期がとても空しく、もったいないからです。
英語学習に関していえば、その材料はとても面白いですし、教科書なども中身の工夫がなされていると思います。それを受け取る生徒たちが熱心に取り組めるかどうか、その決め手は、彼らが自発的に動くかどうかにかかっています。
いくら中身が濃くても、その素材を生かすか否かは、伝える側と受け取る側の意識に集約されると思います。そこの価値観を「受験対策」から「人生対策」というようにシフトすれば、生徒たちも少しは自分たちの世界観を拡げることができないでしょうか。そうすることで、将来を見据えて、英語を受験のためでなく、自分のために学べないでしょうか。
留学した生徒が10代の生徒が英語を短期間で学べるのは、学ばなければやっていけないという必然性によるものです。日本で学ぶ生徒はその必然性はありませんが、将来を見通す力とその時に必要になる道具を持つことの重要性は認識できるはずです。それは、すくなくとも、テストが終われば忘れてしまってもオーケーであるところの大学受験よりは、筋が通っていて、納得できる理屈ではないかと思います。
英語圏のボーディングスクールを知れば知るほど、子どもたちの意識の柔軟性と可能性を私は感じます。そのエッセンスを日本で勉強をしている10代の生徒たちにも知らせること-それを私はこれからも続けていきたいと思います。
読者の皆さん、いつも私のブログを読んでいただき、
まことにありがとうございます。
皆さんのご健勝をお祈り申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎えください。
2013年12月31日
斉藤克明