小学、中学、高校留学 - 希望へのシナリオ
この時代の希望を私たちは何に見出すでしょうか。
豊かさ、便利さ、楽しさの根源をもし、物理的に求めるとすれば、
その希望は若い世代にとって時を追うごとに困難となるに違いあれません。
便利さや楽しさが人間を怠惰にする可能性もあります。
グローバルな世の中ですから、情報は世界中からやってきて、
誰でも瞬時に手に入れることができます。2年前ころから、スマホ、
タブレットが急速に普及し、動くパソコンとして機能するようになりました。
電車に乗れば、半分くらいの人が、スマホに見入っています。
豊かであり、平和な日本で56年ぶりにオリンピックが開かれることになり、
アベノミクスで株価が上がり、景気も上向いていると言われます。しかし、
これから若い人たちに託される日本社会は高度成長期と比べれば、
劇的に変化していることが解ります。
今、メイドインジャパンの札のついた商品が世界でどれだけ、
幅を利かせているかでしょうか。海外で目にする日常のなかの
電化製品は、日本から韓国に置き換えられ、車も韓国が猛追しています。
そして、アメリカ製品は徐々に姿を消しつつあります。
今の日本を築いてきた世代がそろそろ社会の一線から引退していきます。
そして、バトンを渡される世代は、すでにがむしゃらに働くことが
良いという価値観はないように思います。さらに、会社が自分の人生を
支えてくれるという年功序列、終身雇用制度も全くあてになりません。
変化すべきことは、時代と共に変わりますが、
そのなかで変えてはいけないものもあるはずです。
それが、日本固有の文化なのか、あるいは人間に共通する普遍的なことなのか、
それらを決定する時期がすでに到来していると思います。
私はこれからの若い世代は、生きる価値観を自主的に設定する必要が
あると思っています。そして、英語を学ぶ必要もあると思います。
この二つはできることであれば、なるべく早く身につけてほしいと思います。
早ければ、早いほど満足あるいは納得した将来を「自分で」決めることが
できるのではないかと考えています。
希望へのシナリオ、それは与えられるものではなく、
自らペンをとり、みずから書いては修正を繰り返していくものと思います。
そのプロセスが楽しいことが、最高ですが、楽しいばかりの連続は
人生ではありません。辛さも苦しさも乗り越えることに価値があります。
希望のシナリオを異文化体験に求めることを私は提案しています。