ボーディングスクール留学 留学生の推移
Winchendon Schoolの改革について2日間にわたり書きました。日本の高校では起こりえない留学生の全体に占める割合ということに取り組んだJohn Kerney校長の決断と実行力に私はアメリカという国の独創性を感じます。
今、アメリカのボーディングスクールはその生徒構成が変化する時期を迎えています。アメリカそのものの景気が低迷する中で、2000年以前のようには、アメリカ人生徒が集まらなくなっています。ボーディングスクールに入学させることができるアメリカの家庭は全体の2%以下と言われているなかで、アメリカ人生徒だけでは、定員割れをしてしまうボーディングスクールが珍しくはありません。
したがって、健全な学校経営をするために、留学生獲得はテンスクールズとESLのないランク4のボーディングスクールを除いては、必須なのです。
70年代のオイルショックころから、ボーディングスクールは生徒獲得のマーケットを北米大陸だけでなく、世界に向け始めました。それまでは、ESL(English as a Second Language:英語を母国語としない人のための英語学習、英語クラス)
のインフラを完備している学校は多くはありませんでしたが、イラン、日本、韓国、中国と続く80年代から今に至るまでの世界のマネーが集まっていくところから、多くの生徒が獲得できることをボーディングスクールは学びました。
70年代の後半から80年代、オイルダラーの恩恵を受けて、留学したイランからの生徒は、母国に革命がおこり急激にその数を減らしました。次に日本のバブル景気で中堅のボーディングスクールに日本からの留学生が10名を超えるような状況が生まれましたが、バブル崩壊とともに、ボーディングスクールの日本人留学生の数は減っていきます。現在は、ハワイのボーディングスクールを除いては、日本からの生徒が10名を超すボーディングスクールは極めて稀です。
その日本にとってかわるように、バブル崩壊後、韓国からの留学生がボーディングスクールで激増しました。韓国と日本の留学生増加の決定的な違いは、日本がESLの完備された学校への留学生が増えたのに対し、韓国はテンスクールズやESLのない学校への留学生が劇的に増加したことです。しかし、韓国も日本と同様にバブルがはじけて、新たな留学生の数は激減します。
つづく