サマースクール - 世界を見るための一歩
サマースクールはなるべく小さなうちから参加させると、
その効果が大いに期待できると思います。
しかし、わが子の単身での渡航や寮生活には不安があるお父さん、
お母さんの感情、意識は自然なものです。
では、この意識を変えるための要素を考えてみたいと思います。
子どもたちの意識を変える経験 - サマースクール
イギリスのロマン派詩人バイロンに歌われたシオンの城とサマースクール子供たち
今年の夏、スイスのルガノにあるTASISを訪問したとき、
創立者のお子さんで、現理事長のフレミングさんは、
「私が寮生活を始めたのは小学校1年生の時からでした。それでも、しっかりやってこられました。親子は離れていても、いつでも親子ですよ。You’ll be all right」
と訪問した中3の生徒に言われました。私たちを支配しているのは、
「経験」という固定概念なのかも知れません。
この固定概念は、組織では「前例」となって、
いろいろな悪影響を及ぼすことを経験しない大人はいないと思います。
卑近な例で恐縮ですが、私は息子を小学校6年生の時にスイスの
ボーディングスクールのサマースクールに参加させました。
それまでに英語の特別訓練は一切していません。
それでも息子はサマースクールに参加しました・・・、というのは
正確な表現ではありません。私が参加させたのです。
小学校6年生の息子には、それを絶対に拒否する理由もなく、
「飛行機に乗れる」、「世界のいろいろな人と友達になれる」、
「マクドナルドがある」などにつられて、JALの「ちびっこ一人旅」の札を
首から下げて、お友達と2人でサマースクールに出かけていきました。
彼は英語が全く解らなかったにも関わらず、途中帰国することもなく、
3週間を「立派に」終えて帰ってきました。
小学校から中学校にかけてのサマースクールというのは、
英語の学習をするところではなく、自分の生活レンジの拡大と
世界を見ることへの導入なのだと思います。
そして、この導入が子どもたちの好奇心や異文化への関心に
繋がっていくと思います。そのような機会が全くない場合、
子どもたちを待ち受けているのは、受験のための勉強です。
その対策に引っ張られて、価値観が作られ、好奇心や異文化への関心が
消されてしまうのは、グローバル時代の生き方ではないと思います。
できることであれば、ゲームは人と相対してやりたいものです。
言葉や習慣が違っていても、喜びや感動があることを、子どもたちに
理解させることは、かけがえのない教育と言えないでしょうか。