小学中学高校留学 - 既成教育からの決別
人生を考える時、ある周期をもって精神的、物理的な変化が起こることをだれもが認識します。「大きな転機」が複数回、訪れることもあれば、思わぬ落とし穴にはまってしまうこともあります。それらはおおよそ自意識が芽生える10代の半ばころから始まると思います。
何も起こらず、平坦で真っ直ぐな道をひたすら走る、あるいはレール軌道を滑っていくといった人生は、これからの日本の成熟した社会では現実的ではないように思います。そもそも、平坦な道の行く先、レール軌道の終着点がわからないからです。
さっさとレール軌道の列車を下車し、でこぼこ道を必死になって踏破して、目的地に向かっている最中は、元気がありエネルギーは充満していますから、周囲が見えません。そして、周囲をのんびり眺めている暇などありません。でこぼこ道を走るということは、そうゆうことだと思います。
小学中学高校留学は、レール軌道の人生をでこぼこ道のそれに置き換えることになります。快適さや便利さ、そして時には精神的な意味での豊かささえ見つけられなくなるような環境が実は異文化の本質であると思います。それを、「かわいそう」と思うか、あるいは「人生のスタートライン」と考えてGOとするかは、親の専権事項です。
幸いにも、異文化を受け止める子どもたちの姿勢は、肉体、精神共にかなり柔軟で、適応力、応用力に富んでいて、親が思うよりも彼らはたくましく、愛に深く、健康なので、途中で下車するようなことは稀です。
問題は一見安心、安定していて静かで楽であるところの子どもたちの教育という既成概念を打ち破ることです。「とんでもない、『受験戦争』ですよ。なぜ安心、安定なんですか、たいへんですよ」という声もあると思います。
いつのまにか、教育が「競争」に変わってしまいました。これでは、与えるほうも、受けるほうもおそらく楽しくはないと思います。そもそも、勉強とは「つとめて、しいる」ことですから・・・。しかし、つまらないことを、積み重ねても、つまるようにはならないと思います。かくして、教育は安定のなのもとに、迷走せざるを得ないのではないでしょうか。
一旦、安定と決別し、厳しい環境のなかで、自分を見つめる訓練をしてみてはいかがでしょうか。サバイバルを経験することで、必ず自分の素顔を目の当たりにして、次の人生へダッシュできると思います。