休日曜コラム 結婚式という文化
結婚式に参加するたびに、神父さんの言葉に感動します。
私が参加した範囲ですが、すべての神父さん、あるいは牧師さんかも
知れませんが、神への誓いを新たなカップルに求めます。
日本にもたくさんの日本人神父はいると思うのですが、なぜか
私の出席する結婚式では、神父さんは白人で英語圏の人です。
彼らはすべて日本語が堪能で、新郎新婦をうまくリードします。
神父さんの誓いの言葉は、すべて下記のとおり共通しています。
「あなたはこの人と結婚し、神の定めに従って夫婦となろうとしています。あなたは、その健やかなときも、病めるときも、喜びの時も、悲しみの時も、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、そのいのちのかぎり、堅く節操を守ることを約束しますか。」
この素晴らしい協力の精神に私は世界共通の人間性を見出します。
そして、宗教という枠にとらわれずに、良いことは素直に取り入れる
ことができる日本の文化の柔軟性に希望を見出します。
新たな夫婦は上記の質問に当然、「はい」と答えます。
そして、神父さんは、指輪の交換を済ませ、次になぜかここだけ英語で
Now, You may kiss the brideと言います。
また、二人の前で十字をきり、神に祝福を求めるときはラテン語になります。
神父さんの役割はまだ終了しません。
讃美歌の後、彼らを教会の外に導き、
「みなさーま、どうぞ、おふたりを、ハクシュで、おむかえくーださーい」
と大きな声で言って、ワァーと拍手とフラワーシャワーが起こると、
静かに階段を上がり、教会の扉を閉めます。
神父さんはみな、とてもにこやかで、若いカップルを祝福し、
親族など式に参加した人たちが、「ありがとう」と言える雰囲気を作りだす
名人ではないかと思います。
しかし、なぜ私の知っている結婚式の神父さんたちは、一様に白人で、
背が高くて、日本語を話すのか・・・不思議です。
また、ここ10年間くらいの間に参加した結婚式の披露宴はいずれも
フルコースでグラスが4つも並んでいて、2時間余りの宴に出される
食事はみな贅が尽くされています。
自分たちの結婚式と比較してみると、食べること、飲むことに、
細かな配慮とアイディアが盛られているのが良くわかります。
結婚式という形態も時代と共に変わっていきます。
しかし、新たな家族のあり方は、神父さんにカップルが誓うように、
お互いの愛でしか創りようがありません。
それだけは、社会や時代がどのように変化しようと普遍のものであると
思います。