アメリカ大学受験-エッセイについて
9月になり北半球、ボーディングスクールの新学期がスタートしました。そして、今年12年生になる生徒のAO入試出願も新学期と同時にスタートしました。まず初めに、共通願書(common application)のオンライン入力です。そのなかで重要なのが、本人のエッセイ(作文)です。この作文は大学で勉強することに関する質問と、本人に関する質問に大別されます。そうすることで、受け入れる側も志願者の文章力や構成力だけでなく、発想や思考の豊かさを知ることができるのだと思います。
ある留学生のエッセイを見る機会がありました。今年でボーディングスクール生活は4年目、それまでの本人の毎年の状況を見てきましたが、彼の精神的な成長ぶりに驚き、かつとても感動しました。
日本の大学入試においては、小論文と呼ばれるエッセイですが、ある受験プロにその書き方を尋ねたところ、「序論、本論、結論」といかにも曖昧な答えしか得られませんでした。大学受験の国語で卓越した力を発揮したある私の友人は、世界的見地から見た自分の意見をエッセイで表現することが重要と言いました。そのためには、まず知識を仕入れなければなりません。また、ある程度、「世界的見地」の状況も自分なりに学ぶ必要があるでしょう。
かくして、序論では、世界の動き、本論では、それに対する自分の考えの表明、そして結論は「これからの世界のあり方」が述べられるのでしょう。知識を得て、それをどのように加工するか、その組み合わせ方法を学べば、どんなテーマにもある程度の知識があれば、小論文に構成は可能です。
それができるかどうかは別にして、テーマに対する知識と論理の展開が問題にされるところが、オピニオンエッセイと呼ばれる所以です。
留学生のエッセイがたいへん感動的だった理由は、社会のあり方や問題に対する解決方法とかではなく、自分と父親との関係が留学を中心にわかりやすく、すなおに述べられていたからです。
父親からのいわば「命令」としてスタートした留学で、彼は英語力不足、やる気のなさなどから、窮地に追い込まれます。そして、自分の「運命」に悲観します。
留学して2年目、彼は父親が留学をさせた真意を知ることになります。
自分の父の10代の苦労や困難、そしてその克服過程で、人の信頼を得るための努力と目標に向かうための熱意、思考力、発想力して実行力、彼は「留学」という恵まれた環境を与えられながら、自分がいかに親に依存していたかという無意識の「甘え」に気づきます。
つづく