教育の行方 - 3
<前日のブログに続きます>
ある日突然、わが子が留学したいと言い始めた ― これは中学生以上であれば、
いつでも起こり得ることではないでしょうか。
先日のブログに続き、中学、高校時代、何らかの外部からの刺激等によって、
留学を目指すというこころのメカニズムについて、考えてみたいと思います。
サマースクールなどの短期異文化体験での刺激で、本人のこころにある
プリミティブともいえる好奇心や探究心の顕在化に加えて、
「英語が話せるようになりたい」という意識も留学を目指す大きな目標です。
しかしながら、このゴールというのは、達成するのがなかなか難しい。
その理由は、結果が合格、不合格というかたちでは出ないからです。
「英語が好き」という生徒は、大なり小なり英語を
自由自在に話す自分を夢見ています。
それがどのような状況であってもいいのです。
恋愛、友情、スポーツ、芸術、旅先、授業、ビジネスなど、
自分が流暢にいろいろな場面で英語を話すことを想像することが、
大いなるやる気にさらに火をつけることになることは、間違えないと思います。
さて、そこから後が問題です。
留学が実行されて、半年、一年と時が過ぎ、気が付いてみるある程度のゴールは
達成できている自分が見えてきます。
生活には、困らなくなりますし、いろいろな場面で英語を
駆使できるようになります。しかし、
目標到達試験などがあるわけではありません。
そこで、英語が道具であることに気づくのです。
道具はそれをどう使うかでその価値が決まります。
故に、その使う人に価値が戻ってくるわけです。
留学混沌期が過ぎて、安定期に入ってもなお、留学生のこころは
揺れ続けると言っていいと思います。
この揺籃期ともいえる時期が、さらに留学生を成長させるのは
言うまでもありません。
つづく