○ 留学のための英語力 ― 日本と英語圏受験の違い
<前日のブログに続きます>
知識そのもの量と、それを獲得するための技術が増えていくと、覚える内容も難しくなります。数学、物理、化学、生物などの理系分野においては、それがより高度で最先端な技術を獲得する基本になるかもしれませんが、今、英語の分野においては、この理屈は当てはまりません。
日本の大学受験のための英語問題集の上級編の内容を見ると、英語知識のなかでも例外的なもの、特定表現や専門的知識を必要とするものが多いのに気づきます。英語を使っている人にしてみると、「どうでもいい」、「文語に限られた表現」、「日常では使わない表現」、「時代遅れの古い表現」などがとても多いのです。
難関と呼ばれる大学に入学するために、高校生たちはつまらなくて、とても実践では役に立ちそうもない英語知識を「試験に出るから」ということで、黙々と覚えざるを得ないのです。このような勉強が面白いはずがなく、それでも大学受験生は文句も言わず、学習しています。
日本の受験生たちが学んでいることは、つまらないことがわかっていても、役に立たないことがわかっていても、それに「耐えてやり抜く」という我慢や忍耐の精神なのかもしれません。であるとすれば、この便利で豊かでグローバルな時代になんと時代錯誤の価値観であることでしょう。
アメリカでは、大学が個別に実施する入学試験はありません。学力試験は、SATあるいはACTのみです。いわゆるセンター試験です。すでに、このセンター試験対策をアメリカのボーディングスクールがほとんどやらないことは言及済みですが、優秀なアメリカの生徒はこのセンター試験の英語の科目、すなわち読解とライティングは、特別に勉強しなくてもできるというのです。それほどまでに、ボーディングスクールでの国語教育は徹底して読ませ、書かせるのでしょう。たくさん読んで書いているから、彼らの語彙力は相当のものなのです。
ところが、日本人には極めて簡単な数学が、アメリカ人にとっては問題だというのです。ということは、数学教育はあきらかに日本のほうが優れているのか、進んでいるのか、あるいは、日本人そのものが数学を得意としていることになります。
グローバルな時代だからこそ、情報伝達は早く、世界は狭くなります。故に、教育の世界でも、国内に固執せず、国外での学習の可能性とその現実性がより検証されて、今後を生きる子どもたちに提供されていくと私は思います。