○ 日本の若者の野心
「日本の若者から野心が消えていっている」とは、
あるテレビ番組のレポートの結果です。
野心があると答えた若者(大学生)が50%を下回っていたということです。
この結果をみて、私は「日本の若者はどうしてしまったのか」と
瞬間的に思ってしまいます。しかし、
すこし冷静になって、いまから30年前、戦前、そして明治、江戸時代の
若者に同じ質問をしたら、どうだろうかと考えると、
今の若者だけが、とりたてて向上心やチャレンジ精神が欠けているという
こともないようにも思えてきます。
私がたまたま目にした番組は、人気作家が
大学の若者にインタビューする形式で行われていました。
そのなかで、「小さく固まると、それ以上大きな目標を目指せないから、
とにかく大きく考えてみよう」というような主旨で、
それが野心につながるというのが、その作家の言いたいことであったようです。
大は小を兼ねるという格言の通り、大きいことはいいことなのですが、
若者の悩みは、大きいことをどのように想像し、どのように具体化するか、
そのノウハウが自身の中で欠落していることにあるのではないでしょうか。
私は、多くの先進国の若者が同じような問題を抱えていると思います。
先進国と今言われている国々が、2回の大戦を経験して、
モノ作りに邁進しそのピークに達したのが60年から70年にかけてでは、
ないかと思います。
それなら私たちにもできる、もっと良くできる、もっと安くもできると
日本が世界に台頭しピークを迎えたのが、80年代です。
そして、社会にお金がどんどん供給されて、モノという面では
完全にハングリー精神が消えていき、困らなくなった結果、
野心も自然消滅していったのではないでしょうか。
野心は本来、不足していることをどうにか埋めようと
努力する過程で醸成されるパワーなのだと思います。
何もかもが与えられた状態で「大志をいだけ、野心を燃やせ」と
若者を指導しても、そのような人は観念の化け物的存在と
見られてしまうのではないかと私は思います。
若者に欠損している覇気や向上心という観念は、
実は若者たちをリードし、教えてきた大人たちが
真剣に自分たちのこととして真剣に考ええない限り、
若者批判として終わり、その結論は決して建設的結果をもたらしません。
今の先進国の社会状況の中で、物心ともにハングリーな精神を
作り出すというのは、至難の命題です。
若者たちが、もっと動き、もっと考え、もっと社会に参加するために、
少しだけ、行動半径のレンジを広く取ってみる、
言葉や文化がことなることに、興味を持ってみるなどを
進めていくことが、若者も指導する立場のひともメリットを得ることが
できるのではないかと私は思います。