○ 卒業の季節
北半球の英語圏の学校が卒業の季節を迎えました。
動画に協力していただいたお母さんから数日前、お電話がありました。
「娘の卒業式に行って参ります。今までいろいろとお世話様でした。」
―卒業式は確か24日でしたか。いよいよですね。
「帰りましたら、改めてご挨拶させていただきます。
―はい、どうぞ楽しい旅をご家族で・・・。
ある生徒のお祖父さんからは、
「斉藤さん、あの子は確かに卒業できるのでしょうか」
―えっ、あっ、まあ最後の成績報告(つい2週間ほど前)でもFは一つもありませんし、学校からは卒業を危ぶむような警告メールは一つもありませんので、問題ないと思います。(しかし、お祖父さんの心配ごとは、私の言葉では消えないと咄嗟におもいました)
学校のアドバイザーに連絡します。彼女からメールが来たら、ご連絡します。
(2日後)
アドバイザーからのメールは、今となっては過去のやり取りを懐かしむコメントから始まり、卒業要件を本人が満たしていること、そして卒業式に私も出席するかどうかが書かれていました。
それを受けて、お祖父さんに電話して「卒業間違えなし」を伝えました。当たり前のことを、当たり前に伝えただけでしたから、お互い淡々としてすぐに電話は終わりました。
アドバイザーからのメールに続いて、私は5年以上お世話したことになる
本人に卒業おめでとうメールを送りました。
私が本人に言いたかったことは、
「いろいろあったけど、卒業できた。良かったね、そしてありがとう」、
「これからは自分でやれよ、君ならできる」でした。
さっそく本人からメールが返ってきました。
英語で書かれていました。
Thank you so much for everything you’ve done dealing with me, my mom, my grandpa, and people from my school. You have helped me succeed and I couldn’t have done it without you.
上手な理屈も、うまい言葉もなく、いつもぶっきらぼうで、
私との会話は英語、メールやスカイプでのメッセージはいつも1行、
用件のみ、そんな「あいつ」からとってもまともで上手なメッセージを
もらうと、私の背筋はピンと伸びていました。
瞬間的に目の奥がフワッとしてきて、吸った息がスッスッスと途切れました。
「世界のどこかでまた会おう」などとかっこいいつもりで私は返信します。
留学は物語です。
一人ひとりの生徒が自分で記すのです。
ハッとするような発見、出会い、そして「どうしよう」と
体の力が一気に抜けるような経験、そこからの巻き返し、
ラッキーなこと、そして、ふと思う日本のことなど、物語の素材は
留学にたくさん盛られています。
これからもたくさんの子どもたちの物語を私は想像しながら、
そして、彼らとの世界のどこかでの出会いを待ちわびながら、
コンサルティングに励んでいきます。