★アメリカボーディングスクール 授業・成績について3
<前日のブログに続きます>
ボーディングスクールの成績評価のプロセスを前日のブログで解説しました。テストだけでは評価されないボーディングスクールの教育文化は、アメリカ大学におけるAO入試の合否判断にもいえることです。このような成績評価が日本のテストの点数最重視の合否判定よりもいいと私は断定するつもりはありません。
テストの点数で合否が決まるほうが、過去の成績にこだわることなく、「やるなら今でしょ」を実践できるのも事実です。教育の世界においては数学的な絶対真理はありません。すべては、それを受ける人々が、こころのそこから納得し、意欲と喜びの念を持てるかどうかにかかっています。それを目標にして教育者は自分の使命を全うできるように努力するのだと思います。
ボーディングスクールの教育でわかりやすいのは、生徒のやる気を奮い立たせる、意欲を持たせる、主体性や自主性を養うことをその根本としているところです。たとえば、歴史のクラスでボーディングスクールの先生は「仮定」の問題を出します。
「日本が第2次世界大戦に勝っていたら今の世界はどうなるか」
このようなテーマを生徒たちはディスカッションします。先生はそれを一定の時間黙って聞いています。歴史というクラスでは1年間、何を勉強して、そこから生徒は何を学ぶのかということです。ディスカッションは確かに、時に白熱して授業は盛り上がるでしょうが、やりっぱなしでは教育とはいえません。もしクラス人数が40名であるとすれば、全員がディスカッションに参加することは1時限では不可能に近いでしょう。
しかし、ここで疑問なのは、その前後にディスカッションの素材となるべき事実のリサーチ、自分の「仮説」を正しいと言わしめるだけの歴史的材料やそれが可能なことであるための根拠など、生徒がディスカッションのためにやらねばならないことは盛りだくさんです。
日本の歴史教科書をしっかり学習する習慣のついている生徒たちにとって、知識は貴重であるが、自分の見解やそれをサポートする資料調べなどは、「やっている暇がない」と思っても不思議ではありません。
つづく