○子どもたちの秘められたちから7 就職までの道
今年の6月、ある生徒がアメリカのボーディングスクールを卒業します。すでに大学は決まっています。大学では、自分の好きな写真を専門的に追求するそうです。
昨年の夏、帰国の際、彼の作品を見せてもらいました。便利な世の中で紙焼きの写真ではなく、あとからあとから彼のスマホにはたくさんの作品が収められていました。人工的に合成されたようなものもあれば、とてもきれいな日没や朝日を撮ったもの、人物にフォーカスしたもの、建造物、車などかれの作品は多岐にわたります。
アート系に優れた彼は8年生になった時くらいから、自分の特性に気づいたようです。先生から「絶対音感」の持ち主と言われて、もしかすると音楽の道に進んでいくのかと思いましたが、彼は写真の道を選びました。それを追求する学校についても、規模の大きな学校でなく、あえて総生徒数が4学年(9年~12年)で200人に満たない小さなボーディングスクールを選びました。
私も親も彼の潜在的な能力からして、より規模の大きいアートでは有名なボーディングスクールを勧めましたが、彼の意志ははっきりとしていて変わりませんでした。こうして、彼はジュニアボーディングスクールから高校としてのボーディングスクールに移っていきました。
彼が通う学校のアドミッションオフィスの待合スペースに飾ってある写真はすべて彼の作品だそうです。好きなことには誰でも「まめ」になれます。彼は、いわゆるアカデミックな科目に対しては、それほど興味を示さず、学校から「成績不振」の警告を数回もらったこともあります。その間も写真に関しては、活動を地道に続けていました。
12年生に成った去年の9月、彼は大学について明確なイメージはないと言っていました。すなわち、進学するかどうかわからないということです。彼の場合、大学進学を積極的にバックアップしてくれたのは、学校のアドバイザーであり、アートが好きな学校の友だちであり、彼が6年間にわたって慣れ親しんできた地域の人々であったと思います。
彼はすでに自分の作品を友だちネットワークを通じて、雑誌などに発表しています。相手の依頼に応じて、写真を作るという作業にも着手しているようです。
中学校のころから彼を見ていると、得意、好きということが、学校で授業が終わった後にできたことが「今」に結びついていると思います。彼の場合は、写真が仕事へのゴールであると思います。しかし、そうでなくても、スポーツを最後までやり続ける生徒もいます。ボーディングスクールでは、スポーツでもアートでも最上級生だから大学受験を控えて引退ということはありません。
進学先が決まっても、スポーツもアート活動も自分の意志で行います。
好きなことを発見する、発展させる、深める、そして続けることで、仕事に対する「核」ができるのではないかと私はボーディングスクールで学ぶ生徒、とくに留学生を見ていて思います。