○子どもたちの秘められたちから 出会い
「出会いの数だけ刺激を受ける」そして、「出会いが子どもたちを優しく、強く、たくましくする」私が10代の子どもたちの留学をお世話してきた実感です。
その出会いがとても限定され、絞り込まれ、類型的になり、新鮮さにかけるものになろうとしていることに私たちは真剣に取り組む必要があると思います。
子どもたちの真っ白なこころのカンバスにどんな絵が描けるのか、その可能性はある条件下では無限になると私は信じています。しかし、日常が決まったパターンになり、いつも特定された人、組織、空間での生活になれば、よほど自分のやっていることに興味と愛情を持っていない限り、人生を変えるような刺激が生まれません。
さらに、もしその日常が指示、命令体系で統制されているとしたら、子どもたちは自らを守るために無意識のうちに、無気力、無関心にならざるを得ないと思います。自分がやっていることに、感動や驚きがなく、課題はどんどん出されるので、「何でもやる」ように自分を仕向けて行かないとやり切れません。
勉強が覚えることに特化されて、知識の量と範囲を子どもたちに強要するものであるとすれば、彼らの「出会い」はどこで、どのようにして作りだされるでしょうか。
大人たちの社会では、「無為自然、ものごとをそのままに受け入れる」という素直さがとても大事にされていると思います。自己啓発、人材育成、社員教育などに使われる教材に共通している要素は、自分と人および組織の関係性の向上にあり、徹底して自分を見つめ、その長所を理解し、活用することにあります。
子どもたちは自然のなかで遊ぶのが本来大好きです。小さな子で自然とつきあえない子はとてもまれだと思います。それは、彼らが好奇心の目で自然を見つめて、そこにたくさんの発見があるからに違いありません。それも「出会い」の変形であり、そのような出会いを積み重ねていくことで、子どもたちは優しさ、強さ、たくましさなどのエッセンスを学べると私は信じています。
さらに言えば、少し前までの日本は、大人たちが忙しく、子どもにかまっていられず、彼らは自然のなかで遊ぶことが当たり前でした。野原、田んぼ、川、空き地など、どのようなところにも「自然」はしぜんにありました。今の時代、自然にお金をかけて回帰しています。
海外の学校と言うのは、子どもたちにとって究極の自然でしょう。その異文化という環境には、素晴らしい出会いがたくさんあります。言葉、生活、人、そしてそれらを総括する空間、どれをとってもみな真新しい出会いです。欧米では、そもそもたくさんの言語が話される環境で、おたがい違った文化圏で生活することが自然である環境が与えられたので、「出会い」があって当然という意識があります。
この点を体が覚えることが、留学の基本であると私は信じています。
つづく