日曜コラム 楽しさと辛さ
来週から学校訪問の旅に出ます。
「外国に出張します」というと、皆さんの反応はおおよそ二つに分かれます。
「いいですね。楽しそうですね。エッ、スイスですか。食べ物もおいしそうだし、私も行きたいです」という楽しさを強調される人。
「それは大変ですね。時差もあるしね。帰ってきたらとても仕事がたまっているでしょう。体を壊さないようにね。」という大変さに焦点を合わせる人。
正直なところ、私はいずれの人にも「ハイ」と返事をしているようです。
生徒のことになり、「来年は留学行かないかも・・・」などと、
弱気なお母さんには、「何、言ってるんですか。そんなことはない。お母さんのその気持ちが本人に伝播しないように。そんなこと、思う必要もないことですよ・・・」
というように、本音で強気になれるのですが、
自身のこととなると、相手が辛そうであれば、「ハイ、そうですね」、
相手が楽しそうであれば、「ハイ、そりゃ楽しいですよ。動いていることが好きなのだと思います」などと、調子に乗ります。
「小さなことにくよくよするな」という本が以前にベストセラーとなりましたが、
私はその本の作者、リチャードカールソンの考え方がとても気に入っています。
しょせんすべてはささいなことというフレーズ、「そうだよね」と力強く納得します。
心理学者でナチスドイツにとらえられ、アウシュビッツでの生活を描いた、
ビクトールEフランクルの「夜と霧」で彼は、
ポジティブな意識の重要性を説き、どのような時でも希望を失わないことが人を
救うという主旨の論理を展開しています。
究極の環境にいた人の言葉故、とても心に響きます。
私は10年くらい前から、「頑張る」を「楽しむ」に意図的に変えています。
「頑張ってください」と人にいうことはそれ以来ありません。
また、自分でも「頑張ります」とは言いません。
生徒を送りだすときは、「学校生活を楽しんでください」
現地で生徒に会い、解れる時も「楽しんでね」であって、
「頑張って」ではありません。
「頑張る」というのは、私は苦手なのかもしれません。
それよりも、やると決めたら楽しくやったほうがいいので、
どうにか、嬉しくなるように、何にでも取り組める方法を真剣に考えています。
真剣さがないと、結局、達成する前に「厭さ」に
屈服している自分の意識があるからです。
楽しいことといえば、日本ではおそらく有史以来、「花見」を人々は、
楽しんできたのではないかと思います。
今年は、あれよあれよという間に桜が満開になってしまいました。
来週、日本を留守にするがゆえに、花見のチャンスは明日しかありません。
年に一度の楽しみ、なんとか達成したいと思います。
そして、月曜からの出張、楽しんで行ってきます。