★多様性への対応2
<先日のブログに続きます>
多様性を受け入れ、個性を尊重する教育が求められる一方で、中等教育までに達成しておかなければならない知識の体系があります。たとえば、英語ができるようになりたければ、退屈である文法も、5000語程度の単語も覚えなければいけません。数学、理科、社会、国語など、いずれの科目においても、知っておかなければならないことは、たとえそれらが単調な作業であっても、興味が持てなくても、自らの努力で獲得しなければなりません。
留学をすることで、知識の体系的学習がなくなるわけではありません。それでも留学することで多くの生徒たちが勉強に開眼し良い結果を出せるのは、教育の中身は「暗記もの」という共通点があっても、教育文化の違いと言えると私は思います。
英語圏と日本の教育文化の違いを一言で言えば、ほめて伸ばすか叱って伸ばすかということになると思います。私は自らの留学体験、わが子の留学体験、そして留学コンサルタントしての経験からほめて伸ばす英語圏の教育を良いと思っていますが、これからの多様化する社会のニーズに適応するためには、どちらか一方が良い、他方が悪いという捉え方ではいけないように思います。そもそも、完璧な教育というのは、世界のどこにもあり得ないからです。
褒めて伸ばすやり方は、とても魅力的ですし、当然それに越したことはないように思いますが、悪いところがほっておかれるという欠点があります。特に指摘されたり、直されたりするのが当たり前の教育を受けてきた日本の子どもたちは、褒められることに慣れていません。素直に受け止められないということもあります。また、褒めて伸ばす教育は、こまかな指摘にも欠けています。指摘型教育で育った子どもたちには、褒めて伸ばす方式は、こまかな配慮に欠けるためにいい加減と思えるかも知れません。
それでも、留学生たちは新鮮な衝撃を異文化の中で受け、勉強以前にまず言葉や衣食住環境にどうにか適応しなければと模索を始めます。小さな精神の持ち主がこのような逆境に耐えられるはずはないと大人は考えがちです。あるいは、小さすぎてかわいそうと思います。ところが、子どもたちはそのような環境のなかでも、立派に自分を守り、自分を見つめ、生きていく方法を考えて、実行することができるのです。生活英語を学習する期間はおおよそ半年ほど、生活習慣を学習することも1年ほどでみな達成しています。日本であれだけ苦しめられた英語学習であったのにもかかわらず、いざ現場に来て、必要に迫られるとできる・・・。そのようにヒトはプログラムされているのだと思います。
つづく