休日コラム 私たちの倫理観
今日は大晦日、2012年最後の日ですが、
昨日のブログで取り上げた一時帰国生とのスカイプ英語学習は、
30日から元旦まで、お互いの都合が合わず休みとなりました。
年明けの英語学習は2日の夕方よりスタートします。
大学入試に出題される英語の文章を読んでいると、
とてもためになる、そして考えさせられる題材が使われています。
そして、私は彼に時々、余談で人生を語ります。
単に訳すだけであれば、器械がやります。
意味を深く考え、自らの精神の肥やしにしてこそ、
学習であると私は考えています。
人生、その語りは人の数だけあります。
そのなかで、大学入試の英語エッセイのテーマとして良く取り上げられるのが、
日本人と英語圏の人々との宗教観の違いです。
英語圏の人々からすると、宗教的倫理規定なくして、
日本人はどのようにして、社会倫理の基本を作っているのかということが、
問題にされるわけです。
日本の場合、高校、大学入試願書の欄に出願者の宗教を書く欄はありませんが、
英語圏のそれには、必ずReligionという欄があります。
すなわち、英語圏の人々にとっては、出願者がどのような神を信じているか
ということは、知っておくべきことであるわけです。
日本人の多くは当然のことですが、一神教信者ではありません。
ゆえに自分を特定の宗教の倫理規定によって、
律するということは一般的ではありません。
仏教といっても、日常の生活で仏教活動をする場面はほとんどありません。
しかし、だからといって私たちの社会が無秩序であることは
絶対にありえず、それどころか、世界のなかでも屈指の安全で
秩序のある社会を戦後 築きあげ、アジアの国々が羨み、模範とする成長も達成してきました。
私が中学、高校生のころは、日本人の無宗教ということについて、
英語圏の人たちが不思議がっていて、その不思議さを説明できる
日本の人たちはたいへん少なかったような気がします。
そして、漠然と無宗教だけど、倫理観はしっかりしているということで、
この問題はそれほど深刻に考えるものでは無いと思っていたようです。
今、世界が情報革命により、劇的に変化しました。
そして、来るべき新たな年、そしてすでに始まっている21世紀は、
人類のこれからを真剣に考えないと、その存亡が徐々に
脅かされる状況になりつつあると私は考えます。
脅かしているのは、果たして無宗教の人々かというと、
そんなことは全くありえません。
宗教、思想、主義にとらわれることなく、人々が国という枠すらも超えて、
共存できる社会を作ることが今を生きる大人たちの使命であると思います。
私たちの住む日本の風土特性からしても、英語圏のような一神教よりも多神教である方が生活にマッチしています。昔から私たちは、征服よりも協調し、
仲良くしたりすることで、大変大雑把ですが、
国をまとめてきたように思います。
もちろん、歴史のなかで大きな失敗もしていますが、
それでも世界に埋もれることなく、国を栄させてきました。
そのような生き方こそ、宗教観を超えて世界に誇れる八百万の神を
信奉する私たちの生き方だと思います。