日曜コラム 江戸っ子について
私は今までに何度か江戸っ子に会ったことがあります。
毎日、東京のど真ん中といえる場所で仕事をしていますが、
めったに江戸っ子に遭遇しません。
ちなみに、オフィスで共に仕事をしている人たち20人あまりの中で、
親子三代にわたって東京に住んでいる人はいないと思います。
私が今までに会ったことのある江戸っ子さんは、「ヒ」と「シ」の発音が
時に混同していて、人のことを「シト」と発音し、べらんめえ調が
男女を問わず多少残っているように思います。
彼らは一様に人情家で、おせっかいなところがあり、
おおよそさわやかな性格の持ち主です。
いわゆる東京の下町に行くと、ちゃきちゃきの江戸っ子人がまだ、たくさん
いるのだと思いますが、普段の生活のなかで、彼らと遭遇すると、
こっちもつられて、「コンサルタントも職人のうちでぇ」ということで、
べんらんめえ調で会話したくなります。
いったい江戸っ子とは何なのかと、自分勝手にいつも想像します。
その概念は、東京という街で生まれ育った人たちにして、
隣近所の人々との連携がたくましく、人情味あふれた世話やき、
といったところではないかと思います。
言葉づかいや、行動パターンから「もしかして、江戸っ子ですか」などと
ぶしつけで立ち入った質問をいままでしたことが数回あったと思います。
質問をされる側は、けっこうすなおに「親の代から東京だよ」とか
「母はどこそこの出ですが、父の家系は東京です」などと答えてくれました。
江戸っ子に比べると、大阪人のほうがはるかに多いような気がします。
そして、両方ともにローカルな人という共通点があります。
ともにグレートローカル人と私は形容できるのではないかと思います。
だから、人なつっこく、よそよそしくなく、親しみが持てて、
地方から出てきた人たちも彼らによって、
大いに救われるところがあるというのが私の江戸っ子の原点なのです。
私が今、お世話している子どもたちが立派な成人となるころには、
もしかすると江戸っ子は死語になっているかもしれません。
それどころか、今、すでにそうなのかもしれません。
しかし、私は江戸っ子という人種が好きで、その傾向を持つ人に
会えると、とても嬉しくなって森の石松よろしく、
「あんた、江戸っ子かい。食いねえ、食いねえ、寿司食いねえ」
などという、楽天的気分になってしまうのは、どこかで気風のいい人、
さわやかな人、人情味豊かな人と繋がりたい、友だちになりたいと
こころの底で思っているからだと思います。
江戸城の平川門付近で仕事をさせてもらっているので、
地の利を生かして、江戸っ子探しをいつまでも続けていきたいと思います。