ボーディングスクールの留学生グループ
留学生はその出身国に関わらず、同国人同士で集まる傾向があります。言葉や文化習慣の違いで、同じ境遇の人たちが集団を作るのは、特別なことではありませんが、それぞれの国の集団は、違った個性を持っているといえます。
組織よりも個人の考え方が優先される欧米のグループは、グループと言っても個人がそれぞれの都合で集まり、情報交換や相互協力も任意で組織が強制力を持つようなことがないように思います。もし、あるとすれば、それに賛同しない人は、その団体をさっさと抜けていきます。
それと対照的なのが日本人留学生のグループです。任意で作られるグループにも関わらず、一旦クループが作られると、そのなかの人間関係が重視され、そのしがらみに悩む生徒も少なくありません。グループに属する人からサポートを受けた場合、それに対するお返しが暗黙の義務と化し、強制ではないもののその「義理」を果たすということを重荷に感じるようです。
現代の若者たちがそのような義理に縛られるはずがないと思いきや、日本の社会が数百年あるいはそれ以上の時間をかけて築いた精神文化は、留学という進歩的な環境においても生きている場合が多いのです。
もちろん、日本人同士が留学先で、そのような義理に縛られることなく、より自由に結びつくこともあります。
Choate Rosemary Hallを以前に訪問した時、アドミッションスタッフの計らいでそこで学んでいる日本人留学生を集めてくれました。5人の日本人はそのすべてがChoateに入学する以前に英語圏での教育を経験していました。ジュニアボーディングスクールで学んだ生徒、あるいは親の仕事の関係で英語圏で幼少期を過ごした生徒たちでした。
英語も日本語も不自由なく使える彼らは、言葉だけでなく文化理解という面でもそれぞれの良いところを上手に自分の生活に生かしているように思いました。Choateに入学できるだけの学力と英語力があるだけでなく、日本語での私とのやり取りが完璧でした。
このような日本人グループにおいては、義理のしがらみなどはあり得ないことでしょう。もし、そのようなことを強制する人がグループ内でいれば、すぐに当事者同士で「議論」が始まることでしょう。
アドミッションスタッフも、留学生の集団化については、かなり配慮をしていると思います。特に、アジアからの留学生はこれからも増加傾向が続くなかで、多様性を受け入れるというモットーをバランスよく実現するために、特定の国からの留学生の比率が高くなることは良いことではありません。
つづく