中学・高校留学―良い教育と危機感
<前日のブログに続きます>
良い教育の根本に自発性、主体性があると前日のブログで私は述べましたが、実際の教育の現場において、先生が「自発性や主体性を持て」と百万回言ったとしても、教育を受ける側に伝わるものでもありません。今まで、何回となく親から聞いたわが子観に、「うちの子はいい子なんですけど、欲がない」がありますが、結局、自ら進んでものごとに取り組まない、すなわち自主性や主体性が欠けているところに、何かを築こうとしても、大変なことであると思います。
今と親の世代、あるいはより以前の世代の教育を比べて、私は今の教育システムがいわゆる昔に比べて劣化しているわけではないと思います。学級の崩壊、不登校、いじめなどの問題がメディアを通じて報道されますが、それイコール、日本の教育がすべてそのような状況になっているというわけではないとも思います。
これからの教育を考える時、「こうでなければならない」といういわば、既成概念を外して、ワイドな選択肢から「自主的に」親子で教育を選択していくことが、ひいては、子どもに主体性を身につけさせるために有効な方法の一つであると私は思います。
留学というのは、その選択の一つの頂点にあると私は思っています。
それは、留学先の教育環境が留学生の過去の状況をすべてリセットさせるからです。ゼロからの出発が彼らに生きる力を与えざるを得ないからです。
留学は、世界のどの人種や国の生徒、学生にあてはめることができる効用があると私は思っています。英語圏の人々が日本に「留学」にやってきても同じことが言えるでしょうし、英語圏のみならず、アジアの国々、アフリカ、南米大陸と全世界で通用すると思います。
その主たる理由は、国を変えて学ぶことで、今までの自分にあった常識の多くが覆され、人間関係、コミュニケーションなどをゼロからスタートさせることになるからです。
英語圏から日本に来た人が、畳の文化に接した時に、厭だからといってさっさと日本から出て行くでしょうか。日本人は「本音を言わない」ということに嫌気がさして、日本での滞在を諦めるでしょうか。「郷に入りては郷にしたがえ」ということわざ通り、彼らは日本の文化を受け止めて、興味を持ち、既存の概念とは別のチャンネルを増やすことで、人間として「成長」を達成するのではないでしょうか。
私はその原動力は「危機感」であると思っています。