ボーディングスクール留学 異文化のいい加減さ2
多くの留学生が英語圏特有のいい加減さに泣かされます。そして、英語圏とビジネスをしているほとんどの日本人もまた、彼らの仕事の進め方に驚き、時にあきれ、泣かされていると思います。私も泣かされます。
TOEFLのスコア、日本での学業成績、先生からの推薦状、本人の積極性など、アドミッション担当者が要求するすべてをクリアしているのに、「不合格」があり得るのです。期限までに、メールや書類が届かないと、ビザ取得に支障が出ると警告しているのに、連絡が全くないこともあります。
本人の落胆、それを目の当たりにする親の悲しみ、あまりにも理不尽なことが起こるこの現実を私は何度も何度も受け入れなければならないことがありました。
なぜ、英語圏の人々は、先を読んで仕事をしないのかと思います。自分の発言の重さを知らないのかと思います。また、それでもなぜ、すんなりと組織が崩壊もせずに動いていくのか、時として私は疑問に思うこともあります。
英語圏の国々で学ぶということは、日本の社会では当たり前の人のこころを察することや、相手の立場に立って考えることを百八十度変えなければならないことも起こり得ます。仲良くなった現地の生徒にセーターやスエットシャツを貸したら、一向に帰って来ず、いつの間にかその子のものになっていたなどは、冗談ではなく複数の生徒から聞いたことです。
「悪意」があるわけでは決してないのですが、とにかく、配慮に欠ける、気が利かない、大雑把、いい加減なところが私たちの常識からすると目立ちます。それでも留学生たちは帰国せず、私も三十年以上にわたって、英語圏の人々と付き合っていられるのは、なぜなのでしょうか。
「違った世界が見たいから」としか言いようがありません
それほどまでに、彼らのいい加減さは泣かされても、泣かされても、私たちをして引きつけさせる何かを持っているのでしょう。
十代の子どもたちはとても臨機応変であり、精神も体も柔軟に異文化を吸収していきます。それを合理的にリードするのが私の役割なのですが、とても完全とは正直なところ言えません。現地に何百回行こうが、彼らと何万時間話そうが、それぞれが持っているDNAレベルの問題はやはり解消できません。
それゆえに、私にとって異文化には、尽きない魅力があるのかもしれません。そして、子どもたちにそのことを伝えたいのだと思います。
英語圏がいい加減だと認識できるとすれば、認識している人は少なくとも彼らよりはいい加減ではないはずです。この仮説が正しいとすれば、私たちは今後、異文化との付き合い方を大きく変化させる必要があると思います。