これからの教育9 - 大学入試への道と芸術活動1
副教科と呼ばれている主要科目以外の教科を日本の学校がボーディングスクールほどに力を入れないのは、受験システムの違いというよりも、副教科の分野が自分の将来につながるキャリアパスと言えないからという理由も十分に考えられると思います。
日本では、音楽や芸術に特化した専門的な高校でない場合、すなわち普通科高校の芸術分野への取り組みはボーディングスクールのそれと比べると、とても貧弱に思えます。「ボーディングスクールに行ける生徒は、(日本の一般的な生徒と比較して)恵まれている」と今まで、私がボーディングスクール見学を案内した様々な成人の方(志願者の親、高校・大学教師等)は、ある時はため息まじりで、ある時は、目をきらきら輝かせながら言いました。なぜ恵まれているかと尋ねると、多くの人が施設の充実を指摘していました。
私は不思議です。日本の学校がなぜアメリカのボーディングスクールと比較して、
それほどまでに施設的に劣っているのか。これだけ、豊かで便利になった日本なのに、なぜクラス人数が減らずに、机、椅子、クラスの間取り、空調、副教科に対応する施設などが、ボーディングスクールに比べると「戦前」ともいえるくらいにみな類型的で、その学習環境からは、個性、特性といったことは、感じられません。
人生でいちばん、おしゃれをしたく、見栄もはりたく、時にえばりたい盛りの子どもたちを地味で味気のない日常の施設のなかで「教育」を語り、指導したとしても、その効果はあがるでしょうか。若くて奔放な精神の持ち主は、個性、個人、責任、義務といった概念を、言葉よりも感覚として学び、吸収すると私は思います。言うことにこだわるよりも、学習環境にこだわったほうが、子どもたちは聞く耳を持つと思います。
バブル経済の時、日本では多くの私立学校が、国外に分校を作りました。どんなマーケットを狙って、学校を国外に作ったのかが、私にはわかりません。海外赴任の家族なのか、現地生徒なのか、日本からの出願を見込んだものなのか、いずれにしても、結局現在機能しているのは、慶応ニューヨーク、公文レザン校のみです。何十億あるいはより多くの投資はバブルの崩壊とともに、消えていってしまったようです。もったいないことです。学校の主人公である生徒たちに、還元できるような施設や設備を充実させておけば、そのリターンを今の時代に得られたかもしれません。
受験に厳密に対応するための学習対策は、専門性の高い予備校や塾に任せて、学校は自ら掲げる理念を言うのではではなく、実現できるように、生徒のために投資を実行することはできないものだろうかと思います。
(つづく)