これからの教育8 - 大学入試への道とスポーツについて2
<前日のブログに続きます>
「自分の好きなスポーツが思いきりできる。一所懸命になる。それに集中する」という体育教育は子どもたちにとって健全であると思います。この健全さが彼らの成長の支えとなります。技量に合わせてチームを複数編成し、チームの数だけの交流試合を組むというアイディアは日本の学校にもすぐにでも取り入れることのできる仕組みです。特別に費用が必要ではありません。日本の場合、問題となるのは、練習スペースの確保くらいであると思います。
「熱狂」というこころの温度の沸点のような概念が私は好きです。これ以上はできないというところまでへとへとに疲れ果ててもなお、ゴールに向かう自分をもう一人の自分が見ることができるような気がするのです。体が限界に近いからこそ、一切の雑念から解放されて、一点に精神が集中するとき、最高のパフォーマンスが発揮できるという経験を、スポーツマンであればだれでも経験しているのではないでしょうか。「辛く苦しいけど、できる。諦めない」という精神は、社会生活のなかでオールマイティーに作用します。運動だけではありません。
子どもたちの個性を生かすということを標榜しているボーディングスクールは、このスポーツの力を最も効率よく利用するシステムを開発したと思います。技量が高くても、低くても、プライドレベル、熱狂レベルを均等化する全員レギュラーメンバーシステムは、集中と緩和を日常生活のなかで上手にバランスアウトします。そして、日本ではあまりスポーツに取り組んだことのなかった留学生たちも、熱狂の渦のなかに自然に入っていけるようです。
あるボーディングスクールの体育コーチの面白い発言がありました。
「皆さん、学生時代を振り返って、数学の授業風景を思い出しますか。おそらく、ほとんどの人は、チームスポーツで達成したことや、つらかったこと、それでも努力して、友だちとの絆、コーチとの絆などを思い出すに違いない」
確かに、コーチの発言には、共感できます。また、社会人になってからも、人間関係や目標達成に向けての段取りなど、学生時代に習得した知識を引き出すよりも、体で身につけたいわばスポーツ体験のほうが、実用性があり、有益であるともいえると思います。
ボーディングスクールにおいては、正課の授業としての体育はありません。その代りに、放課後のスポーツ参加はそれぞれの学校で必須となっています。子どもたちのこころを上手に温め、加熱し、沸騰させます。
(つづく)