これからの教育4 - たくましいということ
<水曜日のブログに続きます>
私のお世話している生徒のなかには、日本での小・中・高校で学校の要求に答えることができずに悩む過程で留学相談に来る人もいます。親子ともに考え、悩み、思考錯誤を重ね、できる限りの学習方法を試し、学校以外でも補習を重ね、それでも活路を見いだせない。教育する側の要求にこたえようとすればするほど、逆方向に進んでいく子どもたち。彼らのこころを親はどのように理解し、導き、問題解決の光を見出そうとするのでしょうか。
子どもたちの精神は疲れ果ててしまっているのだと思います。先生のインストラクション(指導)どおりか、あるいは先生が認める範囲内に答えが納まっていないと規格外としてはじかれてしまうというその教育ラインが厭でたまらないのです。しかし、それを論理的に説明する方法や表現する術を十代半ばの生徒たちが持ちうるでしょうか。
私は人間というのは、もっとたくましくあるべきだと思います。たくましさの基本は、どこでも生きていけるということです。親に身の回りの世話をやいてもらわなくても、自分で判断し、行い、結果に対して責任をもって臨めるということです。それを子どもたちに気付かせるためには、既存の環境を変えてあげなければいけません。今までの世界と決別し、ゼロから自分の人生を考えるというところまで一気に彼らを持ちあげるために、留学はもっとも効果的であると私は信じています。
人間には本来、環境に適応して生きるという知恵が備わっているはずです。自然と調和すること、社会のなかで自分の役割を見出すこと、組織に貢献することなど、誰に強制されなくても、周囲の状況をしっかり観察して、折り合いをつけていく能力は、そもそも生まれた時からプログラムされていると私は思います。
幸いなことに、十代の子どもたちの留学をお世話していると、彼らのたくましさを感じる機会がたくさんあります。日本での学習履歴が良くても悪くても、留学生たちはみな一年間で生活に欠かせない英語は必ず学習します。できない生徒は残念ながら、留学を断念せざるを得ないわけですが、そのような生徒は、私自身のお世話の経験から考えれば1~2%の範囲に止まっています。みな、やればできるのです。できない生徒がいるとすれば、単に「やらない」からです。では、なぜやらないかというと、「やりたくない」からですが、おおよそ好きでもないことをやらされているのが子どもの現状と言えないでしょうか。
(つづく)