子どもと向き合うお母さん その2 お母さんの留学
<前日のブログに続きます>
ニュージーランドへ学校訪問に二女と出かけたお母さんの決断で、
留学することになった長女が、母に「親孝行がしたい」という、
その理由が、「迷惑ばかりかけているから」。
それを受けた母が、「そんな覚えはない」という、
昨日のブログの一部ですが、私はこの小さなやり取りに、
家族の絆の宇宙的な大きさを感じるのです。
「そんな大袈裟な」と思われるかもしれませんが、私の本音です。
離れることで、鮮明に子どもが見えることがはっきりとわかります。
去年の夏から、留学実行までの九カ月の間、お母さんのこころは
今ほどまでに穏やかではありませんでした。
留学を控えているのに、子どもたちは勉強せず、まるで留学は他人事。
「これでやっていけるのかしらん」という、不安と焦燥があったと思います。
それを日々の忙しさで忘れさせ、時にはご主人にあたることも
あったのではないかと思いますが、夫婦とは良くできたもの。
お父さんは、スポンジのようにお母さんのネガティブな気持ちは吸収してしまう。
「大丈夫だって、気にするな、なるようになるから」というのがお父さんとは、
私の全く勝手な想像です。
結局、留学が実行されて、想像をはるかに超える現実に直面した長女は、
自らの生きる力に目覚めたのではないでしょうか。
それが故に、お母さんの人としての大きさ、愛の大きさに長女は感謝できた。
私は、「長女」と三回会いました。お母さん、長女、二女のセットで三回。
彼女たちのファッションと立ち居振る舞い、そして会話などから、
「三姉妹じゃないか」と思います。
能天気な割には、しっかりと自分を見はじめた長女に、母たる大長女は、
親子の枠を超えるような客観性と、それでも「母」の包容力を発揮する、
これは将に、「お母さんの留学じゃないですか」と私は思ってしまいます。
お母さんは距離空間を超越して、長女の精神と結びついていると思います。
そして、母としての気概をこれほどまでに感じたことはないと思います。
長女はまだティーンエイジャーです。
人生のステージが一つアップグレードし、チャレンジという言葉が
文字通り当てはまる意識と行動の拡大の時期です。
どのようにこの時期を過ごすかは、お母さんが制御できるものではありません。
しかし、思いの限りを尽くし、悩み、もがき、そして前に進むのが、
人として「あたりまえじゃない」ということを、子どもたちには
理解してもらいたいと親なら誰でも思います。
つづく