あるお母さんのカルチャーショック その7 長女と次女
<前日のブログに続きます>
性格の違い、個性の違い、そして意志の力、すべてを総合して、
この姉妹の四月下旬からの留学物語を、演出したお母さんは、
長女の混沌とした現地での状況にシンパセティック(共感的)であり、
一方、ものの見事に既存の日本人留学生との関係も上手に保ちつつ、
現地に順当に適応しつつある二女には、ちょっと厳しめかもしれません。
いずれにしても、お母さんが管理できる唯一のものは、お金ということです。
それだけで大丈夫なのかと思う読者の皆さんもいると思います。
それで、大丈夫なのです。
親子における「信頼」というつながりは、決してもろくはありません。
ただし、この絆は操作することは難しい。
すなわち、操作してしまったら、そもそも信頼ではないからです。
思い切って子どもたちに任せる、これが「大丈夫」の根本理念と私は考えます。
絶対なる信頼が築かれた時、それを更に高めるために努力をする、
あるいは、無意識の期待に答えようとする、
それが私の見てきた子どもたちの実際の姿です。
そして、今までほとんどの留学経験をしたお父さん、お母さんからの
切実な実感として、繰り返し私が聞いてきたのは、
「親のできることは、お金を払うことだけ」ということなのです。
留学する生徒の年齢に関係なく、彼らは与えられた環境のなかで、
どうにか自分を守ることを第一段階として考えます。
とにかく、食べて、寝られる状況は確保されているわけですから、
贅沢さえいわなければ、大きな問題には発展しません。
第二段階として、そのなかで楽しくやる方法を生みだすということです。
この段階に達するまでの道のりが大変なのです。
自分の常識、当り前が通じないばかりでなく、
それに伴う精神への打撃にも子どもたちは対応せざるを得ないわけです。
この段階でのこころの太陽としてのお母さんの存在がとても大きいわけです。
これを自らの力で克服するところが留学の最大の魅力と私は思います。
第三段階は、バイカルチュラルに到達した自分を、現地スタンダードで
さらに伸ばすという作業になります。これは、本人が取り組むべき問題であり、
お母さんの役割は応援に徹するということになります。
以上のことが、私が留学相談で通常、ご家族に申し上げることです。
あとは、それぞれの段階で、程度の基準を決めればよいわけです。
留学は外国での長期にわたる生活ですから、食べて、寝られることが、
こちら側の希望や要求が通らないことも多々あります。
急激な環境の変化に、子どもたちが「やってられない、ムリだ」と
感じても、無理のないことです。
しかしながら、その状況を変化させることはできません。
すなわち、自分自らがスタンダードを変えるしかありません。
これは、「問題解決の技法」ではなく、「問題の捉え方と自分の姿勢」です。
姿勢だからこそ、親の意見が絶対と言っていいくらい必要です。
二人の姉妹、第二段階の報告がこの紙面でできることを、
私は楽しみにしています。