あるお母さんのカルチャーショックin NZ その3
<土曜日のブログに続きます>
十歳の次女とお母さんのニュージーランドへの学校訪問は、
お母さんにとってかなりのインパクトがありました。
子育ての過程のなかでお母さんの誰もがぶつかる葛藤があります。
自分の受けた教育と子どもが受けている教育を比較して、
その違いに対する不安、疑問、あるいは、自分の教育と比較するのではなく、
小学校から徹底した準備をしないと乗り切れない受験勉強、
そのための生活スケジュール、そして、それから何が得られるかという
未来予測など、考えれば、考えるほど、迷いが生じることもあるでしょう。
十歳にして「留学」を思い立った二女の直観的感覚をお母さんが
あえて否定せず、「百聞は一見にしかず」を貫いたその精神は、
わが子の教育の現状に対して、漠然とした不安を解消するために、
活性化したというほかないと私は思います。
お母さんは英語が堪能ではありません。
しかし、ニュージーランドの学校を訪問し、先生と話し、生徒を見て、
日本の教育の現状と比較することはできます。
自分自身の英語学習歴を考え、いざ英語を使う段になると、
まったくといっていいほど、使えないという現実にも直面します。
どうしても、わが子の日本での学校の実情はネガティブに傾かざるを得ない。
では、それがニュージーランドにいけばポジティブに転じるのか、
おそらく、それをご自身で検証するための今回の学校訪問であったと思います。
将来役に立つことを学んでほしい。
生涯、使える知識や能力の開発や蓄積が中学、高校からできないものだろうか。
そのような視点をもってお母さんはニュージーランド行き、
NZ90便に搭乗したと思います。
日本と比較して、人口が極端に少ない、受験戦争的な学習は行われていない、
国そのものを支えているのは、農業という日本では考えられない環境、
私立、公立にかかわらず、職業訓練に関する授業が普通科で行われている、
日本とは全く違う教育的価値観を持っているニュージーランドに
お母さんは何を期待したのでしょうか。
「何も期待していません。子どもたちが自分で考えて、やっていくということなんです。それに、英語もこれから必要です。私は十年近く英語を勉強しましたが、今、ほとんど忘れています。子どもたちには、英語が話せるようになってほしいと思っています。それが、今私が子どもたちにしてあげられるベストのことだと思っています」
今年の四月、日本の学校を終了して、
二人の姉妹はニュージーランドに飛び立ちました。
つづく