日曜コラム お祖父さんとの語らい
アメリカの学年で八年生、日本式にいうと、
中学校二年生からお世話している生徒がいます。
アート系の感覚が優れていて、音楽の先生からは、
He has a perfect pitch(完璧な絶対音感の持ち主)と称賛され、
写真を撮ることに、彼は限りない興味を持っています。
お母さんがとても忙しく、仕事が日本だけではないということもあり、
彼に関するいつもの連絡は、お祖父さんと行っています。
四年間もお世話させていただいていると、
留学に関する事柄だけでなく、自然と話が広がっていきます。
「斉藤さん、暑くなってきましたね。こんど、一度ビールでも飲みましょう」
ということになり、私は
「いいですね、ぜひお時間あれば、ご一緒させていただきます」となりました。
私は年長の人から話を聞くのがとても好きです。
自分の学生時代、私は、自分の父の兄からよく戦争の話を聞きました。
アメリカ留学時代、社会人の多いクラスで、ベトナム戦争に参加した
人から現地のことについて話を聞くこともありました。
結局、自分よりも長く生きている人から、「生き方」や「何があった」などを
聞くことで、自分のこころの引き出しを増やすことが好きなのだと思います。
古希を超えるお祖父さんとの語らいは、私の思った通り
彼が日本に五つの支店を持つ会社の経理畑の仕事についてのことから、
始まりました。時代は当然ながら、バブル崩壊前です。
当時の赤坂、六本木などがどのようだったかを私はお祖父さんから
いろいろと教えてもらいました。
そして、お嬢さん、すなわち私がお世話している生徒のお母さんですが、
彼女の高校時代の留学についての話になりました。
お母さんからは、アメリカの短大を卒業したとは聞いていましたが、
高校時代からアメリカに行っていたわけです。
今から二十五年ほど前のことですが、
その頃に、卒業目的で高校留学をすることは、今ほど一般的ではありません。
学校情報なども限られているなか、お祖父さんは友人ネットワークで
お嬢さんを留学させるという決断をしたそうです。
自営業ではないお祖父さんにとって、お嬢さんの留学を続けることは、
とても大変な経済的負担であったと思います。
それでも、一所懸命に彼は仕事をして、お嬢さんを大学まで
海外で行かせることができました。
その精励な仕事ぶりは彼女に無意識に引き継がれていると思います。
ここ一年で私がお世話している生徒の成績が平均で
一ポイントほども上昇しました。大雑把にいえば、
平均成績三であったところが四になったということです。
やればできる、必ずできるというこころの強さを彼が持ちつつあるのは、
このお祖父さんの勤勉さにあるのかもしれません。
経理の知識を生かして、今でもボランティア的に仕事をされている
お祖父さんですが、またの語らいの機会が持てればと思っています。