ボーディングスクール留学 - アート・スポーツは日常2
<昨日のブログに続きます>
日本の場合のアカデミックパワーというのは、英・数・国・社・理という分野の勉強のことです。正教科という表現も使われるようですが、要するに(大学の)試験に出る科目のことです。そのメーン教科をこなすことができないと、サブ(副)教科を楽しめないというのが一般的の生徒たちの意識ではないでしょうか。もちろん、そのようにずっと教えられ、指導されてきたので、正と副というイメージになります。
ボーディングスクールだけでなく、英語圏文化では、「個」の自由度、責任範囲がとても明確に、社会に根付いていると私は思います。組織の意思や意向といったものに左右される度合いが、日本よりも英語圏ではとても小さい。組織のヒエラルキーが日本では徹底していますが、英語圏では、現場がとても力を持っていて、「上」の意思が通らないようなケースも珍しくはありません。「個」の力が強く、認められているからこそ、年齢差、立場の差を容易に飛び越して、ファーストネームで呼び合うなど、日本では考えられないことも起こります。
さて、権威や伝統といった既成概念にこだわらずに、変えるべきところはどんどん変えていく、そんな合理性が英語圏の教育には見られます。「アート、スポーツが学校の日常のなかにある」、「日本でもそうだ」という意見もあるでしょう。しかし、組織の力が強い日本では、アート、スポーツ、勉強が一体化できずに、それぞれが独立して成り立っていると私は思います。故に、普通科の中学・高校という組織では、アートやスポーツを日常化するというのは、「お題目」だけになってしまう。
文武両道といっても、文が重視されるわりには、武と文のバランスのための研究、開発などはそれほどされていない。徹底して真剣に考えなくても、大学進学実績さえはずさなければ、学校が運営できるという現実があるからだと思います。
ボーディングスクール運営の現状は、日本ほど甘くはないと私は思っています。いかにしたら、一人でも多くの生徒を獲得できるか。旧態依然として昔からのやり方に固執していれば生徒は来なくなる。それほどに「個」が強いのが英語圏文化ではないかと私は思っています。
料理が好きで、もてなし上手、英語、国語は苦手で、本を読むことは好きではない、でもスポーツをすることに興味があり、弦楽器は得意という生徒がいたとして、日本の学校、アメリカボーディングスクール、ニュージーランドの学校のアドミッションオフィスに問い合わせをしたら、どうでしょうか。
ボーディングスクールなどは大喜びで、「料理はなにが好きで、何を作れるか、インターナショナルデイには『スシ』を作ってほしい」、「もてなし上手であれば、寮の人間関係もうまくやれるだろう」、「英語はESLがあるから、安心して学べる」、「スポーツは何が得意か」、「音楽は個別指導もできる」など、とにかく本人の言っていることを否定しません。
つづく