ボーディングスクール - 学校のデジタル化
今週は学校訪問のため、アメリカ東部諸州を訪れていますが、Brewster Academy(NH州、斉藤ランキング3)、New Hampton School(NH州、斉藤ランキング3)の二校を例にとって、ボーディングスクールの授業および学校情報のデジタル化について考えてみたいと思います。
Brewster Academyが生徒にマッキントッシュのコンピュータを配り始めたのは2000年ころだったと思います。パワースクールと呼ばれる生徒のアカデミック情報管理システムを導入して、それまで紙で成績、出欠、先生からのコメントなどを郵送していたのですが、親への連絡事項はペーパーレスがそれ以降、実践されています。Brewster Academyでは、国語科、数学科、社会科のクラスは四五人のテーブルが数個配置されていて、生徒たちはそれに自分のPCを接続して授業を進めていました。Brewster Academyのみならず、私のお世話する生徒、全てのボーディングスクールでペーパーレスが実践されています。
New Hampton Schoolでは、来年より生徒ひとりひとりにiPadが配られて、紙の教科書がすべて消えるそうです。先生との連絡、宿題の提出、与えられた課題の調査、学校行事の連絡等、すべてiPadで済ますように学校としては考えていると思います。
社会で起きていることの原型を学校でも利用するこの試みは、おそらく他のボーディングスクールにも数年で波及することでしょう。
私がお世話している生徒は、多くが日本の私立校に通っていますが、本人および親から聞く学校のデジタル化は社会の動きとは逆な部分もあるようです。すなわち、電子機器の学校持ち込みの全面禁止等の措置です。
それは、生徒たちがそれらの機器を「悪用」することのリスクを踏まえて、学校敷地内をデジタルフリー化(デジタルなし)にしようとするものと思われます。私はここに日本と英語圏の明確な教育方針の違いを感じ取らざるを得ません。社会に出れば当たり前のデジタル機器を、中学高校時代に慣れ親しむことはグローバル社会での教育では基本といえます。その当たり前のことが、どんどん進められていくボーディングスクールと、逆行している日本の私立校。すべて私立校がそうではないと思いますが、少なくとも私の身近でいろいろな人から聞く限り、ボーディングスクールのようなデジタル化は日本の私立校には見られません。
「悪用」を避けるために、ボーディングスクールでは、デジタル機器を「悪用」した場合の罰則規定を厳格に定めています。もし悪用が発覚した場合は、生徒は退学を含む重大な処分を受けることになります。ボーディングスクールは生徒の良識に期待するわけですが、そこには、子どもたちを一人前とみなす前提がなければなりません。社会人は一人前だから、デジタル機器を悪用せず、社会や会社の目的に沿って使っているわけですから。
学校デジタル化ものんびりしていられない教育の分野となりつつあります。グローバル、インターナショナル、国際化を日本の教育が掲げるのであれば、子どものうちから彼らを「一人前扱いする教育」を実践しなければ、絵に描いた餅になってしまいます。