高校生の留学体験 ― 言葉の壁を乗り越えて(濱田優貴君の手記*)
一年間の留学を終えて濱田君は、日本で「留学はどうだった」と聞かれたとき、「すごく良かった」というひとことではとてもまとめられないいろいろな思いがあると彼の手記の冒頭に書いています。
彼の学校初日は右も左もわからず、友達も一人もいない、そして何より質問すべきその「英語」がわからないという精神的には迷子の状態です。どうにかやっとたどり着いた教室で、先生が話し始めると、それを唖然と「眺めている」のが留学直後の濱田君の現実描写でした。日本では、得意としていた英語とはいえ、その本場では、とても勝負になりません。「言葉の壁」はことのほか高く、厚く彼の前に立ちはだかり、学習意欲など湧いてこないほど、打ちのめたというのも、留学初期には、誰でも経験することです。
その言葉の壁を乗り越えるもっとも大きな手がかりを友達作りに見出したのが濱田君でした。彼は、「持前の明るい性格」で人から聞かされていたほどの困難なしにアメリカ人の輪のなかに入っていけたと言います。その理由を彼は、「へたな英語でも一所懸命に話そうとし、友達になりたいという気持ちを相手に伝えたから」と述べています。そして、「へたな英語」を熱心に理解しようとする篤実な友達を得て、彼の言葉の壁は少しずつ消えていったそうです。
留学して半年余り、クリスマスを迎えるころは、語学力に自信がつき、友達と冗談を言えるほどになっていて、そこで初めて留学のほんとうの楽しさを感じ始めたそうです。
半年でほんとうにそこまで達成できるのだろうかと疑問に思う人も多いと思います。しかし、彼は自分のスタンダードを持ち、それを満足させる領域の英語力とアメリカでの生活をほぼ半年で達成しました。
彼は、言葉の壁の「克服過程」こそが、彼の留学の成果だと言っています。語学、人間関係、文化の違いなどを一つひとつ克服できたことが今後の彼の人生にかならずプラスになるだろうと確信しています。そして彼は、一人の「日本人」として、より多くの知識を身につけ、国際的視野で社会に貢献できる人間になりたいと結びます。
留学体験者の不思議は、「日本人」という自覚が誰に言われるものでもなく、自分の心のなかに芽生え、成長し、成熟の域に達するということです。日本人同士であると、「何をもって日本人とするか」という観念的な議論になりそうですが、留学先ではそんなことは言っている暇はありません。日本で生まれて、日本で育ったから当たり前に日本人であるわけです。
彼にとっての世界はそこから始まると思います。そして、彼は日本の外に出たことで、改めて日本をもっと知りたい、考えたいと思ったことでしょう。言葉の壁を超えたところには、彼にとって新しいチャレンジの場を提供してくれる世界が広がっていると思います。
*注:濱田優貴君の手記は成功する留学、小・中・高生の留学2001-2002、97ページに掲載されています。