ニュージーランド留学 - 迷える青年の決断4 続英語学習
<火曜日のブログに続きます>
どうしたら、生徒たちが自ら学ぶという学業における「生きる力」を
身につけることができるのでしょうか。
そこには二つの内と外からの力が必要と思います。
自発性というのは、一度身につけると一生涯使うことができる貴重な能力です。
それを自分自身の内面から築きあげるためには、
環境が最も大切だと私は思っています。
10代半ばの留学がその環境を提供する可能性が高いと私は思っていますが、
その理由として、「困ること」、「(解決策を)考えること」、そして、
「実行すること」が挙げられます。
ひとまとめにしていえば、「苦労すること」です。
かわいい子には旅をさせろという格言も、
要するに苦労することを暗示しています。
日本が貧しかった昔でさえ、子どもに苦労させなければならないという
教訓があったわけです。
私が取り上げている迷える青年でなくても、現代の若者は男女ともに
こころの奥底では、これではいけない、チャレンジがない、
納得できない、人生がつまらないなどと感じている人が、
多いのではないかと私は思います。
そして、解決策が明確に出てこないまま、常に勉強が
あとからあとから迫ってくるのです。
そして、大学に行くために仕方なく、点数を取るための競争
ラインにのり、そのラインのなかで、生き残りをかけて努力する。
ラインに乗っていることに、疑問さえ持たなければ、迷わなければ、
当たり前の結果でもって、大学まで進みます。
でも、大学という「フタ」を開けてみた時、あの激烈な競争は
一体何だったのだろうかと、感じるのが若さ一般の感性ではないでしょうか。
大学生になってみて、一二年のんびりするのもつかの間、
今度は就職というゴールが待ち受けています。
しかし、大学生諸君は、何をもって就職先を決定しているのでしょうか。
今日のテーマである自発性から遠ざかってしまわないうちに、
私は、今を生きる若者に受け身の人生から能動の人生、すなわち
自発性を発揮できる人生に切り替えることをぜひ提案したいのです。
おそらく、私がお世話をしている生徒が、予習をしないのも、
世の中の大きな流れの中の傾向ではないかと私は思います。
「単純にサボっているだけ、本人の努力不足」などというのは
極めて簡単ですが、私が直面している問題は、
評論ではなく、生徒たちにどのようにして自主性を身につけさせるかです。
つづく