ボーディングスクール - ESLのある学校について
ESL(留学生のための英語クラス)のあるボーディングスクールは80年代にボーディングスクールに導入されました。それまではESLクラスという明確な留学生のためのクラスはまれで、英語が母国語でない生徒のための教授法や留学生活の問題解決のノウハウをボーディングスクールは持っていなかったといえるでしょう。
一般にボーディングスクールはアメリカの第二次大戦後の経済成長に支えられて、60年代まではおおむね健全な学校経営がされていましたが、オイルショックに始まるアメリカ経済の変化とともに、それまで名門といわれていたいわゆるテンスクールズが相次いで共学となり、その下位にある学校も共学化、合併などで生徒数の確保のための合理的経営を余儀なくされます。
アメリカボーディングスクールの頂点にあるテンスクールズ、次にランクされる学校までは、それまでの伝統、卒業生とその家族によるサポートなど、アメリカ人の志願者を中心に生徒募集でやってゆけますが、その次のランクの学校群はその数も多く、学校間の激しい競争もあり、国内マーケットのみでは、学校経営がとても不安定なために、国外のマーケットを積極的に開拓するに至ります。
80年代に入り、寮生徒数が200人を下回るボーディングスクールにおいては、留学生の受け入れは各校経営のために必須条件となっていきます。しかし、ボーディングスクールには、当時の大学と違って、留学生に英語を教えるノウハウは確立されてはいませんでした。
ではそれ以前はどのようにして、留学生の受け入れを行っていたのでしょうか。
ESLクラスではなくて、留学生のための英語サポートが中心であったと思います。また、留学生の数がそれほど多くなかったために、彼らのために特別クラスを設置して、そこで留学生のために、宿題の解説や課題に対するアドバイス等を行う程度だったようです。すなわち、留学生は始めから、アメリカ人と一緒のクラスで勉強をしていたのです。
留学生を受け入れたボーディングスクールは、アジア系の生徒たちが、数学分野においては、アメリカ人生徒の2-3年先を学習していて、優秀であること、芸術、体育は英語ができなくても、やってゆけること、留学生は自ら努力して英語力を伸ばすことなどの傾向に気づきます。
結局、留学生のための専従担当者を置き、その担当者が学習面、生活面で留学生の面倒をみることでESLクラス・サポートの原型が作られていきます。そもそも移民の多いアメリカにおいては、使える英語教育については、大学レベル、社会人レベルで十分な実績があります。それらをボーディングスクールのESLに導入することは、難しいことではありませんでした。
つづく